新潟県民が、なぜ、田中角栄様なのかを、私は昨日の旅で知った。 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

いつも見に来ていただいき、いいね!、ありがとうございます。
お返しは「日曜日」に集中して行っています。
よろしくお願いします!!

カメラで日々、撮っている日常風景を載せています。写真の著作権は放棄していません。無断使用はご遠慮ください。



群馬県上毛高原から新潟県越後湯沢と言えば、新幹線では、1駅、上越線だと、水上から越後湯沢まで、6駅

関越道だと、「水上IC」の次は、「湯沢IC」になりますよね。

国道17号線は、昭和34年に「三国トンネル」が出来、山をトンネルで越えるようになりました。

でも、そのトンネルたちは、あくまでもあの川端康成が「雪国」を執筆した大正11年に、上越線が清水トンネルを抜けたことで初めて、群馬県から新潟県に抜けられるようになったそうだ。。。

その前までは、、、












「旧三国街道」

こんな小さな道を行き来していたそうです。

そして、こんな道を行き来するのは、大変だっただろうし、
また、山を越えれば、大雪の湯沢に達していました。
これは、江戸時代の旅人たちにとって、ここは、試練だったのだろうねぇ

関東地方と「新潟県」と言えば、上越新幹線で東京駅から越後湯沢駅まで、1時間半ぐらいで着いてしまう非常に近い印象だし、そして、長野から比べてもすごい近い印象になりますよね。

でも、それは、あくまでも、大正11年に国鉄が、「清水トンネル」を開通させたことが大いに強いことであったと、今回、この旧三国街道で、三国峠を越えてみて、大いに感じてしまいました。

明治時代まで、関東地方から見て、新潟と言うのは、「長野」を回らないといけない隣の都市なのに、超遠方にある「県」であると感じてしまっていたのかもしれないと、今回、「旧三国街道」「三国峠」を越えてみて、大いに感じてしまいました。

そして、当然ながら、この一帯と言うのは、「豪雪地帯」
だから、冬には全面的に通行止めであったのかもしれない。

この道を歩いて見て、あの川端康成の「雪国」が、どれだけ、一般庶民にとって、驚きであり、新しい「道」の意味であったかと言うこと、旧道を歩いてみて、大いに感じさせられました!!!


先週分の「いいね」、「ペタ」のお返しは、20時半の時点で、だいたい終了しました。

今週一週間も、よろしくお願いします。






今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!
(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)

とし@photolibrary

写真素材フォトライブラリー