広電の戦後。
原爆が投下され、一番、爆心地の近くを走ったのは、当然、この広島電鉄だ。
戦後もこの広電がたくさんの路線を維持し、走らせ続けている。
以前、「龍馬伝」の時に「長崎」へ行ってきたが、その時、長崎にも長崎電軌がたくさんの路線を維持し、走らせ続けていた。
広島も長崎も歴史の証人として、軌道が維持されているのでは、ないだろうかと思ってしまっている。
全国的に、路面電車は、モータリゼーションの中で消え去ってしまった。今、巨大な路線網を持つのは、ここ広島、長崎、函館、富山、高知、松山、鹿児島ぐらい。あとは、生き残っていても一線だけの区間が多い
生き残った線の中でも、やはり、広電と長崎電軌は、イメージが強い。
どうしてもこの「原爆ドーム」と広電、長崎爆心地と長崎電軌と言う戦争の悲惨さを引き継ぐからなのかもしれない。
今後もこの広電と原爆ドームによって、戦争の悲惨さなどを思い出すためにも広電には、走り続けて欲しい気がします。
長い間、広島県紀行をお読み頂き、また、コメント、ペタなど頂き、ありがとうございました。
これで、広島紀行を終わりにしたいと思います。
ちなみに広島県のお土産は、「牡蠣のオイル缶」と「お好み焼きのおせんべい」にしました。
会社の同僚から、なんで、もみじまんじゅ、買ってこなかったの~って、怒られました…すいませんでした。。。。
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