1年前の今日の近くの公園の桜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年はもうこんなに咲いてましたのに・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりインタビュ-でも「勝っても負けても出るつもりで15日出ることが仕事・・・」の様なことを言ってました。

 

自分自身で110年ぶりに記録にも記憶に残る将来を決めました。

 

カド番を脱出したら休場する大関とは心構え(責任感)が違いますね。

 

 

 

 

 

 

大相撲春場所千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪)新入幕の尊富士(24)が13勝2敗で初優勝を果たした。

 

初土俵から所要10場所の制覇は最速。現行の優勝制度が確立した明治42年夏場所以降では、大正3年夏場所の両国以来110年ぶりの新入幕優勝となった。14日目に負った右足のけがを押して出場し、豪ノ山(25)を押し倒し殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞を全て受賞した。

 

NHKでテレビ解説を務めた師匠の伊勢ケ浜親方(63)=元横綱旭富士=は「じん帯が伸びていますから、最初は『ちょっと無理です』って言ってきたんです。抱えられて帰ってきたんで。またちょっと夜になったら、1人で部屋に入ってきまして『やっぱり、やりたい』って。『痛み止め打っても飲んでも何してでもこの一番なんでやりたい』と」とまな弟子のやり取りを明かしていた。

 

■伊勢ケ浜 正也(いせがはま・せいや) 本名・杉野森正也。元横綱旭富士。昭和35(1960)年7月6日生まれ。青森県出身。近大を中退し、56年初場所初土俵。平成2年秋場所で横綱昇進。幕内優勝4度。4年初場所を最後に引退。5年4月に年寄「安治川」を襲名して部屋を継承。19年11月に「伊勢ケ浜」へ名跡変更。元横綱日馬富士や元関脇安美錦らを育てた。

 

 

 

 

大相撲春場所千秋楽(24日・エディオンアリーナ大阪)

 

○尊富士(押し倒し)豪ノ山●

 前日に救急搬送されたけがを乗り越え、尊富士が賜杯を抱いた。早い出世で大いちょうが結えないちょんまげ力士の歴史的優勝。ドラマの詰まった土俵の裏には、所属する伊勢ケ浜部屋の横綱・照ノ富士の存在があった。

 

 勝てば優勝だった14日目に朝乃山に敗れ、右足を引きずった。救急車で病院へ。右足首付近の靱帯(じんたい)を痛め、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)は出場に慎重だった。「(自分も)正直無理と思った」というが、宿舎でかけられた照ノ富士の言葉に背中を押された。

 

激痛で眠れず、食事も喉を通らなかったが、痛み止めの注射を打ち、千秋楽の朝に出場を決めた。

 

 支度部屋で体を動かすことは最小限にして土俵に立った。突き、押しが持ち味で10勝を挙げていた豪ノ山を立ち合いで組み止めた。力強い踏み込みで土俵際まで寄る。一度は粘られたが、攻め手を休めず押し倒した。

 

 その瞬間、表情がほころんだが、「覚えていない、気力だけで取った」。あらん限りの力を振り絞った。

「強くなる道」照ノ富士を追いかけた

 

 青森での中学時代に照ノ富士に会い、「強くなる道」と照ノ富士と同じ鳥取城北高へ進み、強豪・日大でも鍛えられた。だが相次ぐ膝のけがで思うような結果を残せなかった。

 

 順風満帆ではなかった自身の相撲人生を、一度どん底に落ちた照ノ富士に重ねた。膝のけがなどで大関から序二段まで転落。そこからはい上がり、横綱になった。

 

 「横綱の生き方が響いた。指導を受ければ間違いない」。膝のけがは自身と同じ。照ノ富士との縁を信じ、伊勢ケ浜部屋に入門した。

 

 「背中を見て育ちたい」と憧れ、多くの助言も得て技も心も磨かれた。人生を左右するこの日の一番も、横綱の言葉を信じた。

 相撲内容には称賛の声が多く上がる。審判部長の佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)は「出足が良い。

 

下がるのを見たことがない」と立ち合いの鋭さを褒める。八角理事長(元横綱・北勝海)は速さを生かしているのは「前に出る勇気がある」とした上で、「横綱と稽古(けいこ)しているから」と指摘した。

 

 「記録じゃなく記憶に残る力士になりたい」が口癖の尊富士は、記録にも記憶にも残る結果を残した。「ファン(の期待)に応えるような相撲を取っていきたい」。24歳。これからも大相撲を大いに盛り上げていくだろう。

 

 

 

 

 

 

 

大相撲春場所千秋楽(24日、エディオンアリーナ大阪)12勝2敗で優勝争い単独トップを走る平幕尊富士(たけるふじ、24)が平幕豪ノ山(25)を押し倒し、実に110年ぶりとなる新入幕優勝を果たした。1差で追っていた平幕大の里(23)と大関豊昇龍(24)の結果を待たずしてVを決めた。以下が尊富士の優勝インタビュー。

 

--この大歓声、どう感じる

「千秋楽、土俵入りができてよかったと安心している」

 

--どう気持ちを作って、どういう決意で土俵に上がった

「体がきつくて、でも絶対に自分が最初のころに15日間土俵に上がることを務めることが力士として(の役目)と思った。本当に自分自身でも優勝を勝ち取りたくて、しっかり(土俵に)上がることができてほっとしている」

 

--勝てば優勝だった。これまでの14日間と気持ちの違いは

「このけがだったら大した相撲を取れないと思っている方もいますけど、自分はここで負けたら皆さんが15日間、大阪場所に運んできた意味がないと思った。その辺はしっかり自分で考えてやった」

 

--今日は組み止める相撲。どういうことを考えた

「自分自身を信じて土俵に上がった。何より師匠の伊勢ケ浜親方が解説だったので、しっかり土俵でいい相撲を見せなければと思って土俵に上がった」

 

--初めての幕の内の15日間。改めてどう感じた

「記録も大事だが、皆さんの記憶に一つでも残りたくて必死で頑張った」

 

--記録も記憶にも残る活躍。初の幕の内の雰囲気は

「雰囲気もあったが何よりも部屋の稽古。横綱もいるので、そこは怖がらずにしっかり土俵に上がった」

 

--先場所は照ノ富士の優勝パレードの旗手に。もう一度自分でそういう景色が見たいと言っていたが、翌場所に実現した

「まさかやれると思っていなかった。本当に一日一日、濃い15日間だった」

 

--ふるさとの青森への思い

「昨日けがをして、その中でもたくさんの人から連絡が来た時に不安なのは自分ではなく皆さんの方だと思った。そこで不安にならないように土俵に上がって、勝っても負けても自分を信じて土俵に上がった」

 

--お母様にいい報告。どんな感謝を伝えたい

「おかげさんで。僕もそんなに体が大きくないですけど、土俵で勝てるように育ててくれて感謝しきれない」

 

--これからどういう相撲をファンに見せたい

「ファンに応えるような相撲を取りたい。それだけ」

 

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尊富士関の優勝インタビュ-の受け答えもしっかりしていて好感持てました。

 

応援しますよ。

 

 

 

 

 

 

 

今日の最期のオ-プン戦も逆転サヨナラで良い感じで終わりました。

 

高橋周平選手も開幕サ-ドで出ることを立浪監督から宣言されました。

 

三好選手もここのところ打てませんでしたが最後に2塁打打てて良かったです。

 

代打中島選手も勝負強さは健在です。

 

田中選手の初球のバンドも絶妙でした。

 

2遊間は田中選手と育成のロドリゲス選手を支配下登録して決まりです。

 

開幕戦は神宮球場で柳投手、木下捕手、2遊間は田中選手、ロドリゲス選手、サ-ドは高橋周平選手、ライトは細川選手、センタ-は三好選手、レフトがディカ-ソン選手ですかね。

 

 

 

 

 

 

 

ファ-ストは・・・

 

昨日、今日と体調不良でオ-プン戦欠場でしたので心配です。

 

ビシエドも1週間ほど一時帰国してるし・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どん兵衛を器で作ると麺がモチモチして更に美味しくなるというのを見たことがあったのでやってみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

器に移してスープ粉と揚げなどの具をのせます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お湯を入れて・・・

 

 

 

 

 

 

 

フタをして5分・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ス-プをかき混ぜて玉子を落としました。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちもち感は・・・

 

 

 

 

 

 

私はわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

今晩も紀文のおでんで。

 

 

 

 

 

 

明日も名古屋は雨みたいですが出勤です。

 

 

 

 

 

 

 

お疲れ様でした。