On the Edge of the Cliff Named "LIFE" -10ページ目

苦しい中で見出だした僕自身の揺るぎない想い

昨日からひどく精神的に不安定な感じが続いてます。より正確に言うと、ここ数日自分がやらなければと思った事が出来ず、自分を許せず、自分を責め、激しい自己嫌悪に陥ってるのです。

こういう時こそ、気分転換が必要でしょう。昨日は久々に一日家で過ごしましたが、僕としては、やはり家に引きこもってるより、外出して気分転換すべきだと思っています。そう思ったら、愛車三菱パジェロジュニアを走らせて、気分転換のドライブに出かけました。

今日は、家を出れたのが、いろいろとあって、夜になってしまいました。実は、今日は両親に何度も自室まで乗り込まれて、叩き起こされ、かなり気分が滅入っています。もちろん両親がどれだけ僕を心配し、どうにか立ち直させようとしているのは、理解出来るのですが、何度も自室に入られ、叩き起こされるのは、とても嫌なものです。愛ネコ・フラン♀を飼っていて、フランの世話を僕がしている以上、僕と同じぐらい可愛がっている両親が、フランを探して僕の部屋へ来るのは、一向に構いませんが、やはり僕がいる時に、自室まで乗り込まれるのは、僕のプライバシーを侵害された気分になります。

もっとも現状の僕は、今年30歳を迎えるとはいえ、両親にとっては、中学生以下の扱いのようです。両親の気持ちは分かりますが、高校卒業後に、実家を出、学生会館に住んでいたとはいえ、アメリカ留学に向けて、新宿にあるアメリカの大学の日本校、今はより大きな国際教育機構となっていますが、その学校へ1年通っていました。そして、念願だったアメリカに渡り、サンフランシスコの大学で4年間学んで、卒業してきた為、僕なりには精神的にはかなり自立していると思っています。それに母が僕がまだ2歳ぐらいから、ずっと仕事をしてきた為、父方の祖父母が同居していたとはいえ、年子の愚妹の面倒を見たり、家事をしたり、家の手伝いもよくしてきました。今でも実家で「うつ」と自律神経失調症による自宅療養をしているとはいえ、実質的に実家に居候していますが、家事の手伝いはもちろんの事、自分の洗濯物や掃除などは自分でしています。また家族と同居していますが、僕だけは個別の世帯にしてあり、行政的には別世帯で税金や国民健康保険などは僕個人として、支払いをしています。とにかく気持ちの上でも、行政的にも自立していると考えていますが、現状では経済的に、また精神的にもどこか両親に依存しているのでしょう。

とにかく自分なりには自立していると仮定していますが、やはり現実はかなり両親に「甘え」ているとしか思えません。その上で、両親にいろいろ干渉されていますが、やはり最低限のプライバシーは欲しいと思いますし、両親の干渉は、僕への心配や気遣いがあるとはいえ、僕が抱える「うつ」と自律神経失調症を悪化させる一方です。

また父方の祖母について、何度かこのブログに書いていますが、祖母の「欲」というか、家に対する思いがあまりにも強く、祖母と話しているだけで、僕に対する過度の期待や責任が重く感じられ、またあまりにも僕の気持ちを無視した言動に苛立ちます。その祖母にそっくりな言動をするのが、祖母の息子である父です。その父の言動によって、かなり振り回されています。

ただ今月は、僕が社会復帰に向けて、いろいろと動き始めた事と、ひどい睡眠障害で田植えを手伝えなかった事が、父の癪に触り、かなり怒られています。半分は僕が悪いものの、もう半分は父が僕を理解しようとせず、一方的にああだこうだと決め付けられている事が、僕には重苦しいです。そんな祖母や父と今日はかなり衝動して、父からは「家を出ていけ」と言われた上に勘当を言い渡され、さらに夕食時には祖母に過度の期待をまたも話され、母が一生懸命作ってくれ、ボクモ大好きな散らし寿司をわずか一口だけ食べただけで、その場にはいられず、たまらずに食卓を離れ、一時自室に引きこもったものの、それでは良くないと思い、家を出て、愛車三菱パジェロジュニアを走らせて、気分転換のドライブに向かいました。

今は、最近気に入っている中部国際空港へ向かう幹線道路沿いに出来、広い駐車場のあるローソンに愛車三菱パジェロジュニアを止め、そこで携帯からこの記事を書いています。このローソンは、やはり僕が高校時代を過ごした地域内にあり、駐車場が広く、晴れていれば伊勢湾が見渡せる位置にあり、かなり気に入っています。今年になって出来たばかりですが、何かすごく引き付けられます。やはり僕の地元にあり、幼い頃から眺めて来た伊勢湾が見えるのがその理由かもしれません。このローソンで社会復帰の一歩として、アルバイトをするのもいいな、とも思います。

ちょっと家を出て、数キロだけ愛車三菱パジェロジュニアを走らせただけですが、それでも良い気分転換になっています。「うつ」と自律神経失調症で苦しくとも、やはり家に引きこもってるよりは、わずかでも家から出て、社会と接点を持たなければならないでしょう。

ただこういったコンビニの夜間は、この地域に住んだり、知多半島にドライブやツーリングに来たガラの悪い輩が集まってくるのも事実です。本当に厄介な奴らはごく一部で、絡んでくるのは、その一部だと思っています。しかし、この地域に住む僕と同年代や年下の中には、先行きの見えないこの時代に嫌気がさし、自爆暴挙に走ってしまいそうな者がいるような気がしています。何よりここ愛知県は、現在失業率が高まっています。そうした失業者の多くは、出稼ぎに来た外国人、特に日系ブラジル人や、トヨタのような大企業傘下の工場で期間従業員をしていた僕と同世代の若年層なのです。彼らとは少し違うとはいえ、僕も同じ経済階層に今いて、しかも「うつ」と自律神経失調症という精神疾患を抱えた社会的弱者なのですから。

そういった人々を救いたいと思ったからこそ、僕はアメリカ留学をし、国際関係学を学び、主に人権問題を扱ったNPOでインターンやボランティアをしてきたのです。その想いの延長が大学時代に代表をした日本人留学生団体でしょうし、地元に戻ってからもNPOに関わっていると考えています。

今後は自分の目標に向かい、その目的を果たしていきたいと思っています。はっきりとした計画がまだありませんが、自分のキャリアビジョンは見えてきています。そのビジョンを具現化していくのが、これからの僕の人生でしょう。まだ「うつ」と自律神経失調症で苦しいとはいえ、諦めずに、ただ前を見て、這いつくばってでも、まだ見ぬ将来の僕へ向かっていきたいです。僕の想いは、とにかく自己中心的ですが、日本、いや世界には僕と同じ気持ちの人々がたくさんいると信じています。やはり目指すは、どんな形であれ社会起業家しかないと思います。社会起業家精神は絶対に失いたくない僕の価値観ですから、その価値観を強く信じて、前へ向かっていきたいです。


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自己嫌悪と孤独

昨夜寝ずに過ごし、朝になってから寝ました。もちろん「うつ」と自律神経失調の影響からひどい睡眠障害を抱えて、昼夜逆転の生活になっているのもありますが、もっとも良くないのは、僕自身の「甘え」でしょう。

なかなか起きられず、起きるのも辛い時はありますが、週末は両親に何度も部屋に踏み込まれて、叩き起こされます。両親なりに心配をしているのは分かりますが、何度も部屋に入られて、しかも怒鳴られて叩き起こされるのは、かなり頭に来て、なりたくないのに僕も感情的になってしまいます。感情的になってしまうと、何もかも嫌な気分になり、どうしようもない気持ちになってしまい、精神的にかなり不安定になります。

両親、特に母とは激しい口論になりますが、母はまだ僕の状態を理解してくれるものの、父は母とは違い、直情的で主観的過ぎ、その言葉にかなり傷つけられます。父がそれに気付いているかは、分かりませんが、僕はかなり心を乱されています。

何度も両親に叩き起こされ、部屋に踏み込まれて、とかく嫌な気分になり、感情的になって、気がつくと鳴咽を繰り返し、激しく泣いていました。こういう時は涙が止まらず、精神的にも不安定で、しばらく放って欲しくなります。自室に引きこもり、泣きながらベッドに横たわり、激しい自己嫌悪に陥り、ひどい孤独感に悩まされます。どこか自分自身を許せず、自分を責めてしまい、自己嫌悪のスパイラルに入り込んでしまっています。

今日のように精神的に不安定な状態だと、家族といても満たされない自分がいて、家族の干渉が本当にうざったく感じられてしまっています。「うつ」と自律神経失調症になって、実家で自宅療養していて、家族の支えられ、感謝しているとはいえ、やはりどこか孤独を感じてしまいます。

また実家は古くから続く田舎の集落にあって、同じ市内でも極端に閉鎖的で特殊な地域にあり、家族の考え方、在り方などにかなり偏屈なところがあります。特にどう供している父方の祖母の考え方からすると、やはり祖母が、実父を早くに亡くし、実母は違う集落の他家へ嫁いでしまい、祖母はその祖母にこの家で育てられ、その祖母を亡くしてから、17歳で同じ集落内で同じような境遇だった祖父を婿養子として迎え、その二人が作り上げてきた家と家族だけに、本当に閉鎖的な考え方になっています。それが嫌で、高校を卒業してから家を出、さらに日本を飛び出した僕にはもう相応しくない場所なのかもしれません。高校を出てから、東京からサンフランシスコ、名古屋と都市で生活してきたとはいえ、実家がそういう環境にあった事から、典型的な田舎的な考えや感情が理解出来ても、僕にはそれを受け入れられないように感じられます。

今日は本当に苦しくて、精神的に不安定で、あまり食欲もなく、何もする気が起こりません。「うつ」と自律神経失調症で苦しみ、ここ最近の自分のミスから自己嫌悪に陥ってる僕にとって、この家や家族の感情や考え方は、ただ重く苦しくて、ただでさえ苦しい気持ちが、ますます沈んでいくだけに思えてしまいます。


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10年前に一緒に遊んだ友人たちと、その上その時のルームメイトと連絡が取れるようになった!

On the Edge of the Cliff Named ”LIFE”-Friends Wheel


以前書いた記事のように、ここ最近、世界最大級のSNSであるfacebookを使い始めました。使い始めてから、コツコツと友人を探していたのですが、大学で同じ国際関係学専攻で同期卒業生はともかく、それ以外でも日本人留学生団体に参加していた頃に知り合った友人を見つけて、早速連絡を取って、リンクをしてもらっています。日本だけでなく、アメリカはもちろん、それ以外の国々から来ていた留学生を含め、また世界のどこかで働くようになった友人たちと再び連絡が取れるようになったのは、本当にうれしいと思っています。

特に、僕がまだサンフランシスコの大学に入ったばかりの時に、留学生用の大学寮などで一緒に遊び、特に週末にはドンちゃん騒ぎなパーティをしまくっていたヨーロッパからの留学生たちをfacebook上で見つけ、早速連絡を入れてみると、すぐに返信がありました。彼らと一緒に遊んでいたのは、本当に大学に入ったばかりの頃で、僕が二十歳の頃です。あの頃、ビールなどを買いたくても、カリフォルニア州の法律では21歳未満の飲酒は禁止されている為、買おうにも買えなかった僕は、よくドイツ人の友人たちと一緒に過ごしていて、寮から近いスーパーまでビールを買いにいった思い出があります。彼らにお金を渡して、自分の分を買ってもらったりしていました。思えば、彼らと一緒に遊んでいたのは、もう10年も前の事になります。

彼らの多くは、ヨーロッパ各地、特にドイツやスウェーデン、またトルコからの交換留学生で、1年あまりで皆本国に帰ってしまい、連絡を取るのはほとんどメールでしたが、やはりfacebookのような国際的なSNSになると、皆利用していて、10年前につるんでいた友人たちと久々にコンタクトを取っています。それが本当に楽しくて仕方ありません。

あの頃、僕はまだ大学に入ったばかりとはいえ、大学寮で知り合ったドイツ人やトルコ人、スウェーデン人、デンマーク人、イギリス人、フランス人、オランダ人、カナダ人、メキシコ人、アルゼンチン人、もちろん日本人やアメリカ人も含めてですが、とにかく国際色豊かな中で、パーティ三昧の日々を送っていたような気がします。もちろんある程度は勉強していたものの、まだ英語力がなく、授業についていけないケースもあったり、あるいはテストの質問内容を誤ったケースなどもあり、成績はあまりよくありませんでしたが、それ以上に、彼らに出会えた事は本当に良かったと思っています。

大学寮に住む他の日本人の留学生たちが呆れるぐらい僕は、ドイツ人やスウェーデン人、トルコ人、オランダ人などとつるんで、かなり遊んでいたように思えます。彼らと一緒にいる時は、常に日本人がいても、ほとんど英語だったので、彼らと一緒に遊んだ事によって、僕の英語力、特に日常会話やスラングの程度はかなり磨かれたような気がします。その時に、本来明るい性格である僕の本領が発揮され、彼らととにかく自然に仲間となって、遊びまくっていました。今となっては、本当に良い思い出です。

ちなみに、スウェーデン人の友人を見つけ、彼と連絡を取れるようになったら、今度は彼のネットワークからその頃に一緒に遊んでいた連中を見つけ出しては、連絡を入れています。今日はその中で、僕が留学生用の大学寮に入った一学期の間、ルームメイトだったオランダ人を見つけました。彼とは、ルームメイトという事で様々な事を話し合ったり、またかなり女好きな奴だったので、たまに彼女を連れ込まれて、たまたまその時に限って、試験を翌日に控えていた僕から部屋を出て行くことにして、寮の共有スペースで勉強していた事もあります。とかく彼との生活は一部辛い部分もありましたが、かなり楽しかったです。

特に彼がシャワーを浴びている時に、なぜか思い切り酔いまくったスウェーデン人の友人が他数名を連れて、僕たちの部屋にやってきて、彼がどこにいるか聞かれ、バスルームと答えると、なぜかそのスウェーデン人の友人は、彼が入っているバスルームに入っていきました。止める間もなく、僕のルームメイトもバスルームで裸のまま、あっけに取られていました。その後、なぜかそのスウェーデン人の友人は、服を脱ぎ始め、スウェーデンのダンスを見せてやると言われて、ルームメイトと二人困惑しながらも、泥酔した彼を見て、笑っていました。あれは本当に楽しかった思い出ですし、おそらくその事件を起こした張本人であるスウェーデン人の友人は覚えていないように思えます。

facebookを利用し始めて、まだ一週間ぐらいですが、あっという間に友人を見つけ、既にネットワークが生まれてきています。上の図は現在の僕のfacebook上の関連図になっています。円の中心に書かれたのが、僕の本名で、色分けされたラインが、僕の友人たちとのネットワークと、その友人たちへどうつながっているかを示しています。

それにしても、10年前に一緒に遊んでいた友人たちと、久々にfacebookを通じて、出会えたのは本当にうれしいと思います。おそらくお互いにそう思っているでしょうが、わずか1年ほどしか一緒に過ごさなかったものの、今でもクリスマスの時期にはメールが来ていましたし、今後はfacebook上で、また連絡を取り合っていく事になるでしょう。これは本当にすごいな、と実感しています。


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