松本くーん、悪あがき楽しみにしてたのにぃ、 週刊誌なんかに屈しちゃって | 僕のお相撲日記season8¨刺してやろうか 主役は俺だ¨

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ひとりひとりの協力で無くそう事故と日本相撲協会

松本はイエスマンだけで周りを固めて幼稚な万能感をさらに肥大化させていった。 映画の失敗から顔をそむけてそこから何も学ばなかった。運よくタレントとして成功したけど、知性や教養、上に立つ者の人格とか全て欠落したまま祭り上げられ狭い世界で独裁者のようになってしまった。旧共産圏の独裁者たちのエピソードと松本人志とよく似たものが多い。ベリヤとか車で部下たちとモスクワ市内を回って若い女性を物色し回っていたが、松本人志の車に乗ったまま部下にナンパさせてたエピソードが似てる。あと乱交パーティとかは将軍様の喜び組接待を思わせる。 

寛平よりも、サルに近く。

坂田よりも、アホだったのだろう。

ある意味、吉本を象徴する人ではあった(過去形)ということ。 

フジテレビ、公共の電波を使って一方的に意見を垂れ流すのは「放送法第4条」違反👉 

フジも最初から突っぱねたわけじゃなく、松本にSNSで出る前提のコメントされたりでいったんは出演を了承してた。 吉本にはナメられ松本には私物化され、世間の風当たりかスポンサーの拒絶か知らんが、自分らの判断で全然動いてないのが露呈してしまった。どの辺が報道機関なんだ? 

へびりんの「女性との遊び方」何故いずみ先生に怒られないのか?👉 

身綺麗に遊ぶ人になるのです。出すものは出す。 女性を遊び捨てるからこういう反撃食らうわけ。遊び方の問題。すごく無粋なわけ。遊び方が「田舎モノ臭いな」と思うわけ。松本氏の遊び方は学生時代にモテなかった男が芸能界って興行って見世物の世界で間違って売れて、でも女性に対して自分がモテなかった怨恨があって「恨みを晴らす」的にモノとして扱って性的欲求の「カキタレ」なんて言って「捌け口」として扱うからこうなるわけ。 

「遊び」っていうのは👉 

相手を自分に惚れさせる=落とすという駆け引きにある。どうやって人を自分に惹きつけるか。いろんな人を惹き付ける術を得ることで大衆を魅了する術につながる。だから「女遊びは芸の肥やし」になるって河原乞食の世界では言われるのだろう。しかし、松本の遊び方は自身のネームバリューに寄って来た女を使って性欲を処理してただけ。こういう中身の薄い、頭の頭頂部も中身も薄いところが映画や本を出しても評価を得られない理由。これを「無教養」と言う。心を落としてたら後から文句なんて言われない。性欲処理の対象にしか使われなかったから文句が出てくるわけ。