”ブログの紹介 緊急事態条項について” | hanako-noraのブログ

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昭和40うん年生まれの私が子どもの頃は、戦争体験者の方もまだたくさん生きておられたので、戦争にまつわる話もよく耳にしました。
一番身近かなところでは、父方の祖父の話です。直接戦地に行った体験ではありませんが・・・

「終戦に近い頃、親父(私の祖父 当時30代前半)にも赤紙が届いたが、兵役検査で病気が見つかり戦争には行かなかった。それは、婆さん(曾祖母)が我が子が戦争に行かないようにと、病気でも怪我でもして行かせないようにしてくださいと、神さま仏さまにこっそりお参り(お百度参り?)したから、その願いが届いて戦地に行かなかったのだろう」と昔、父が話していました。
当時なら非国民と言われるような行動ですが、曾祖母は文字通り必死で祈ったと思います。
人様に何と思われようが、我が子を・・・愛しい子を・・・戦争に行かせたくないと。

ただ、戦争は免れた祖父ですが、終戦から10年も経たず、父が中二の春に本当に病気(がん)になり、子ども7人と年老いた両親を残し他界しました。

父は祖父の話をする時いつも、笑い話だなと言いながら話していました(因みに父はまだ存命です)。

祖父が亡くなった時、末子の叔父は一歳ちょっとでした。祖母は38歳でシングルマザーとなり、祖父と死に別れて61年後に99歳で亡くなりました。

祖母は幼少期から不憫な人で、N○K朝の連続テレビ小説のようなちょっとしたドラマが書けるくらいの波瀾万丈な人生を送った人でした。書くと長くなるので割愛します。

もちろん祖母だけでなく、あの戦中、戦後を生きた人は世界中のみんなが本当にご苦労されたドラマティックな人生だったと思います。

今ではほとんど聞かなくなった、中国残留孤児の方が、親を探しに来日するニュースもよくテレビで見ていました。
太平洋戦争では誰もが人生狂わされたんですよね。あのようなことは決して繰り返してはいけないですよね。

平和な世に生まれ育った私には戦争など、到底想像もできません。体験したいとも思いません。

改憲したい政治家の人達は、自分だけは戦争に行かずに助かると思っているんでしょうか・・・自分だけ助かろうとする人を神は助けるでしょうか・・・
太平洋戦争で亡くなった方々の死が無駄にならないように、今を生きる私達がしっかり政治を見つめて、戦争に加担しない政治家を選ばないといけません。

どの政党を選ぶかは個人の自由なので、実際話しづらいところもあります。政治に関心があっても、みんな自分に関係する問題だけを取り上げる政治家を選びます。

でも経済や教育や福祉より何よりも、戦争が一番大事な『命』に直結する問題なので、そのことを疎かにしない政治家を選びましょうと、コツコツ1人ずつでも伝えていくしかありません。


映画やドラマの思いが若い人達に届くことを願います。






ご縁があり住まわせて頂いてる土地に、
日本🗾に、地球🌏に、
愛と感謝の祈りを行います。
平和が続きますように。


最後までお読み頂き感謝しますニコニコ