日記五十六日目~質と数~



皆様こんばんは。

ケニア滞在最後の週末を迎えようとしています。

来週はもう日本にいると考えると、信じられないです



今日は、俺が研修していたMARA CHILDREN’S CENTREのボスであるALICEが、ドイツの研修生カロリンを連れてMOYOにやってきました。



相変わらずフットワークが軽いというか意欲的というか、はるばるティカまでやってくるのも流石だという感じです。



というわけで今日は主に彼女等をホスティングしたわけなんですが、今日もとても良い経験をすることができました。




それは、アリスと松下さんの対話でのお話。




松下さんの運営ポリシーとして自分の目が届く範囲で子供達を世話したいというものがあるので、MOYOはケニアでも最も古いNGOのうちの1つである一方で、15年間継続して規模を小さくしつづけているんですね。



「子供達の家」の最大収容人数は、法律で子供を取り扱う施設として認められている最少の20人まで。



後は基本的に出先の事務所においてストリートチルドレンの更正支援を行っているんですね。



一方でアリスの運営スタンスとしては、できる限りvulnerableな子供にシェルターを提供したいという彼女の想いがあって、常に周りに対してアンテナを張っているんですね。


自分が研修をしていた2ヶ月においても5人の生徒が新しく増えていましたし、執行部もsocial workerとしての性質も備えているらしいので、各地でvulnerableな子供を見つけて彼女の下に連れてくるのだそうです。




松下さんのように、一人一人に行き届いたサービスを提供したいと考えている方もいれば、アリスのようにできる限りの子供達にシェルターを提供したいと考えている方もいるんですね。



その一見相反するように思える軸を持っている両者の会話を聞くのは、とても自分にとってはタメになる経験でした。




「できる限り沢山の子供達のニーズに応えたい」というポリシーを持っているアリスにとっては、MOYOの「子供達の家」のような立派なアコモデーションがあって、絶対的なキャパシティーとしては十分受け入れる余地があるにも関わらず、松下さんが少数の人数をキープし続けるのが疑問なんです。



「目の前に明らかに助けを必要としている子供がいるのならば、どうしてそれを見過ごせるか」



というのが彼女の想いなんです。




一方で松下さんの想いとしては、人にはそれぞれ役割があって、アリスのように多くの子供にアプローチできるような人もいれば、自分のように少数を好む人もいるのだということ。


そして上述したように一人一人の子供達に丁寧に接したいという想いがあるので、そのためにも少数の方がやりやすいんですね。






この異なるポリシーを持った二人の会話を聞いていて感じたことが、こういった「数と質」の話って、世の中のいたるところに散見されるということ。




「数と質」

この二頂対立には恐らくアイセックの人間はうんざりしているはずです。笑




アイセックにおいても、インターンシップの「数」を優先するか、「質」を優先するかで、しばしば意見が分かれるし毎度議論されている事柄なんですね。




「どっちもとればいいじゃん」ってよく言う人いますが、そう簡単には問屋が卸さないわけで、現実問題厳しい事実があるんです。




松下さんとアリスお二人に関して言っても、別に松下さんが数を蔑ろにしているというわけではないし、一方でアリスが質をないがしろにしているというわけでも決してないんです。




子供に関する事柄ですから簡単に「数と質」の問題で議論することはできませんが、これは開発系の問題を語る上で本質的なテーマであると思うんです。




MOYOから帰ってきて夜ご飯を食べる前後は、お酒を飲んでる松下さんと2~3時間ほど毎日色々とお話をしているのですが、今日松下さんがその対話について振り返って仰っていたのが、アリスや松下さんのように各々の役割を持っている人がいるからこそ、協力するのが重要なのであるということ。




異なったポリシーであったり活動を行っている人間が協力するからこそ新しいものが生まれる余地があるし、色々なことを学び経験することができる、と。




かれこれ15年近くMOYOの活動をなさっている松下さんは、常に「何故規模を拡大しないんだ」ということをケニア人だけでなく日本人からも言われ続けているらしく、松下さん自身が一番そのことに関して考えていらっしゃるんですね。



先述した周りからの疑問などを含めたいろいろな経験を元に、今のポリシーを獲得したわけです。










世界中の何万人もの子供が、衣食住を必要としている。



需要は限りなく無限に近く、対して供給側は限りある資源の中で活動しなければならない。



そういった環境の中でできるだけ多くの需要を満たすというのはとても難しいことであるし、需要が増えれば増えるほど、困難も増すもの。






皆さんなら、どう想いますか?

日記五十五日目~スラム~




皆様こんばんは。

ティカ滞在もはや3日目を迎えました。

会ったばかりの松下さんに、今日「焼けたね」って言われました。ww




研修に来ていろいろと新しいことを学び、日々がとてもタメになる毎日なのですが、ケニアでの滞在において学んだことのうち特に印象に残った事柄の一つとして、「スラム」に関する事情があります。



「スラム」って聞くと、ボロ細工を組み合わせて裏からダンボールをはっつけて作ったような家がいくつも並んでいる印象がありますよね。そしてそこに貧しい人達が住んでいるようなイメージ。





ですがNGOを訪問させていただいたときにお伺いしたのですが、スラムってちゃんと住むためには実は「条件」があるんです。




いくつか挙げていらっしゃったのですが肝心の具体的な条件を忘れてしまいました^^;(何せお酒の席だったもので・・笑)

確か、職に就いてなくて所得が無く、住居が無かったり・・とか仰っていたと思います。

他にも沢山色々仰っていたと思いますが。汗




つまり、誰でもスラムに行って住めるってわけじゃないんですね。




ちゃんと、スラムに住むためには「資格」が必要なんです。




でもこれってちょっとおかしい話ですよね。



普通、スラムに住める権利なんていらないですよね、先進国の人間からしたら。



ですが、これが実は途上国のスラムをまつわる実態なんですね。




スラムに関する驚きの事実ってこれだけではなくて、実はスラムには「ランク」というものが存在するんです。



これも最初お伺いしたときは、とてもビックリしました。



スラムって聞いたら先述したように、貧しい人が住む貧しい地域というようなイメージがあったので、どれも一律底辺層の方達が住んでいるように思っていたのですが、実は実態は違うんです。




スラムに住んでいる人々は所得が上がったりすると、次のランクへのスラムへと移り住むのだそうです。


それのインセンティブは良く分からないのですが、恐らく地位のためであったり環境改善を望んでか、もしくは高レベルのスラムの方が高水準の暮らし(良い職であったり)にアクセスしやすいのか・・・。



そう言われてみれば確かによく「~スラム」ってたくさんのスラムがあって、それぞれに名前がありますが、基本的にその地域内では同じような家が並んでいるんですね。




例えばティカにあるスラムは、いくつもありますが中にはいわゆるとても「高レベル」なものもあります。



家はレンガのようなブロックでできていて、俺が働いていたMukuruほど小さい家々ではないし、ちゃんとアンテナとかも立っていたりしてTVを持っている家庭が多いそうです。



それに一番の違いとしては「空間の広さ」があって、Mukuruのように込み入った狭苦しい印象は全く受けません。



反対に俺が働いていたMukuruでは家々が基本的にとても小さいし、一度だけ現地の人の御宅にお邪魔させていただいたのですが、家の広さは6畳くらいで中からダンボールが壁に貼り付けてあって補強されていて、洗濯物が家の中を縦断しており置いてあるのはラジオだけでした。


そこには4人で住んでいたらしいのですが、4人が暮らす環境としてはとても広いと言えるような環境ではありません。




この両者を比較してみると、その差は歴然ですよね。



「高レベルのスラム」って聞くと凄く違和感を感じて形容矛盾のような気もしますが、事実そういった実態がケニア内にはあるんですね。



また、地方からわざわざナイロビの近くのスラムに出てくる人とかもいるらしく、その理由としては「上京」みたいなもので、良い職を夢見てはるばるやってくるのだそうです。



そういった方っていうのは故郷に実家を持っているので、それほど貧しいわけではない。

ただ職を求めてやってきて、今現在スラムに住んでいるだけ。



だから、「本当に支援を必要としている人だけ助けたいんだけど、そういう人達もスラムに住んでいるからそういう人達はとりあえず実家に帰ってほしい。」



なんてことをNGOの一人の方は仰っていました。




こんなような実態も実はスラムにまつわる話としてあるんですね。





昨日のストリートチルドレンの話もそうですが、本当に凄く勉強になります。

日記五十四日目~ストリートチルドレン~


皆様こんばんは。

ティカ滞在2日目です。




今日は人生で初めて、ストリートチルドレンにあってきました。



って今までケニアで研修してたやん!!って思うかたもいらっしゃるかもしれませんが、MARAの子供達は基本的にストリートチルドレンではありません。



皆親がいて、近くのスラムに暮らしている子供達です。





しかし今日会った子達は、まさに「ストリートチルドレン」でした。





まず初対面のしょっぱなから、シンナーの匂いがぷんぷんするんですね。



衝撃でしたよ。



いきなりシンナーの洗礼を受けるなんて、「これがストリートチルドレンか!!」って感じでした。



MOYOは基本的に「子供達の家」と呼ばれるMOYOが引き取っている子供達が暮らしている家と、ティカスタジアム内にある事務所の2つの活動拠点を抱えています。



後者の事務所の方では、基本的にストリートチルドレンを発見したらそこに連れてきて、まずは彼らの住所や両親の所在などを聞き、彼らの両親に引き取らせるんです。



勿論その間のプロセスには、ストリートに出る子供達にも彼らなりに理由がありますから、そういったことをちゃんとヒアリングした上で保護者と話し合うんですね。


場合によっては親から虐待を受けていたりだとか、両親が嫌いだからといった理由でストリートを選ぶ子供達もいるからです。



そしてもし家へ返すことが無理だと分かったり、シンナーに依存してしまっているような場合には更正施設へと彼らを送り出すんです。



子供達の家で引き取るのは、施設から出てきたその後です。



他にも一定期間事務所で勉強を教えたり、一緒にスタジアムを掃除したりサッカーをしたりすることによって、子供達に「居場所」を提供します。



その過程で学校に行くようになり、両親と共にちゃんとした生活に戻った例もあるみたいですし、本当に子供の種類は多様だそうです。





今日はお酒も入って良い感じで酔っていた松下さんと夜色々とお話したんですが、ストリートチルドレンになる原因って、何も「貧困」に限ったことではないんですね。




最初は、「ストリートチルドレン」って聞くと「お金や住むところがなくて、両親からも見放され、帰る場所がなくて途方もなく路上に暮らしている子供達」みたいなイメージがあったんですが、実はそういう場合って結構少なかったりするんです。



勿論低レベルのスラムにおいては(この表現に関しては後々また日記で書きます)こういったバックグラウンドの子供達も多いんですが、ティカは案外スラムと言ってもそこまで酷い状況ではないので、上述したようなイメージに当てはまるようなストリートの子供ってあんまいないんですね。




今事務所で支援している子供達って20人前後いるらしいんですが、彼らはほとんど住む家も持っていて、行くべき学校もあって、ちゃんと両親もいるんです。




それでは何故、そんな彼らがストリートチルドレンになっていると思いますか?




原因は色々あって、両親から虐待を受けていたり働かさせられたりして、逃げる意味でストリートチルドレンになった子供や、ただ単に勉強が嫌いで学校に行く意味や楽しみを見いだせなくて、それならストリートにいた方が楽だからいいやといった理由でストリートを選択する子供や、本当に沢山の理由があるんです。




もっとビックリだったのが、MOYOに引き取られて「子供達の家」に暮らしている子供達でさえ、中には路上生活に戻る子達もいるのだそうです。



今現在子供達の家では20人程度の子供達を収容しているみたいなのですが、そのうちの

3人は家出組みだそうです。



この「子供達の家」ってすこぶる良い建物で、毎日ちゃんとしたご飯は出るし、綺麗なトイレとシャワーは3つずつあるし、蚊帳付きのベッドが全員分あるし、中は広いし強盗に入られる前はテレビもあったりで、かなりしっかりした建物です。



こういった環境で生活している限り決して「貧困」生活を送っているわけではないのにも関わらず(松下さんは貧困とは言わせないと仰ってました笑)、家出をして路上に出る子供達もいるんです。





そう考えると、子供達をストリートチルドレンにする原因って何なんだろうって不思議に思ってくるんです。





実は最近、日本でもストリートチルドレンの数がとても増えてきているのだそうです。





ホームレスの間にも子供ができたりとかして、そういった子供達が学校に行ったりとかせずにホームレス生活を送っているそうなんです。




日本のように子供に関してはとても敏感そうな社会においては、ストリートチルドレンなんて有りえないと思っていましたが、今日松下さんにそのお話を聞いて、本当にビックリしました。



皆さん知っていましたか?



俺はついさっきまで全くそのこと知りませんでした・・。




ホームレスじゃなくても、「家出少女」みたいな感じで渋谷や新宿に夜通しいる思春期の女の子もいるってニュースで見ましたし、そう考えるとケニアと似たような問題を日本も抱えているんですね。




松下さんが仰天発言をなさっていて、彼女は子供達がストリート生活を望むのであれば、別にそれはそれで良いと仰ってました。


ただ、そこには子供達の基本的人権が守られ、搾取されていないという条件がつきますが。




ストリートチルドレンに関してケニアと日本との関連性を知ったことも凄く驚きでしたが、ストリートチルドレンを支援する団体の長である松下さんが、それほどストリートチルドレンを否定的に捉えていないという事実にも驚きでした。






開発系の問題って、調べれば調べるほど色々新しいことが出てきて、ますます難解になっていくんですね。




今日は凄く色々と勉強になりました。