原爆の子(YouTube)
1952年/日本/95分
監督 新藤兼人
出演 音羽信子
2021年8月7日(土)の夜、自宅で鑑賞しました。
原爆投下の日、幼稚園の保母をしていた教師が、7年後の夏休みにかつての園児たちを訪ねていく(以上、Amazonの商品情報からの引用)、という物語です。
「さくら隊散る」がもしレンタルで鑑賞できればと検索してみたのですが見当たらず。同じ新藤兼人監督の「原爆の子」がYouTubeでアップされていましたので、こちらを鑑賞することにしました。ただし、海外への出品用だったのか、英語の字幕が付いているバージョンになりました。こちら、日本で、つまりはおそらく世界で一番最初に原子爆弾の惨状、それに続く悲劇を世に問うた作品となるそうです。こちらも必見かと。
《感想です》
何よりも、原子爆弾投下からまだ7年というタイミングで、広島に実際にキャメラを入れて撮影し、その惨状とそこでおきている悲劇を記録して初めて世に問うたという、日本映画史的な価値を持つ作品なのかと思います。広島から瀬戸内海の親戚の家へ離れていた幼稚園の孝子先生が、その日から7年経った真夏の広島に当時の3人の教え子を尋ねる、という物語になっていますが、ベースは実際に被曝した子供たちの作文集とのこと。
原子爆弾の投下により、戦時中に繰り返し空襲を受けた東京や大阪よりも遥かに多い孤児が生まれたという広島。放射線により寝たきりになっていた父親を亡くしたばかりの子供。両親を亡くして彷徨っていたところを神父に助けられたものの白血病で苦しみながら神に祈りを捧げる子供。亡くなった両親に代わり面倒を見てくれていた姉が今日嫁いで行くのだと喜ぶ子供。観客は、孝子の目を通して原子爆弾の投下から7年後の広島の状況を目の当たりしていくことになります。
そんな時、孝子は偶然にも自分の家の仕事を助けてくれていた奉公人の岩吉と出会うのです。岩吉の顔の半面は焼け爛れており、そして目がほとんど見えないために仕事がなく、橋の上を行き交う人たちにお金を恵んでもらいやっと生きています。家は石垣が見えることから広島城の中だと思われますが、そこへバラックを作り雨露をしのぐ状態。孝子は、岩吉には孫がいていまは孤児収容施設に預けられていることを知ります。
孝子は岩吉に、子供の将来のことを考えて、瀬戸内海の自分の叔父の家に引き取らせて欲しいと申し出ます。ドラマの後半はこの岩吉と彼の唯一の肉親である孫との話にフォーカスされていきます。孫は自分にとって唯一の生き甲斐であり、絶対に手放したく無いと話す岩吉。隣のバラックに住むお婆さんが、〝どうやってこれから暮らすつもりだ、いつまで生きられると思っているんだ〟と優しく静かに岩吉に問いかけます。
そんなことは岩吉にだって当然分かってはいるのですよね、でも、理不尽さに納得できないのです。なぜ岩吉は〝二度も〟その身を焼かれなければならなかったのか。原子爆弾の爪痕の残る広島にあって、川で真っ黒になって遊ぶ子供たちの元気な姿が眩しいです。戦争とは何の関係もないのに将来の重荷を背負わされながらも、しかし今この一瞬の生を謳歌して輝いています。この子供たちが、ちょうど私の父母の世代ですね。
荒廃から立ちあがろうとしている広島を背景に、孝子先生の真っ白なシャツと真っ白な帽子が平和への祈りのように印象に残る作品でした。
この項、終わり。