ノマドランド | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

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ジャンルや新旧問わずに週末に映画館に通っています。映画の感想から、映画がらみで小説やコミックなんかのことも書ければ。個人の備忘録的なブログです。

ノマドランド
 
2020年作品/日本/108分
監督 クロエ・ジャオ
出演 フランシス・マクドーマンド
 
2021年3月26日(金)、TOHOシネマズ渋谷のスクリーン6で、14時の回を鑑賞しました。
 

ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド(遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく(以上、映画.comからの引用です)、という物語です。

 

アカデミー賞ノミネート作品「ノマドランド」を観てきました。私が勤務している会社には〝ノマドスペース〟というのがありまして、部門の垣根を超えた出会い、情報交換、また憩いの場のようになっています。本来的な英単語nomadは「遊牧民」「放浪者」を意味するらしいですね。というわけでこれは、遊牧民のように放浪する年老いた女性の内面を描いたお話でした。

 

 場所にも仕事にも縛られる日本人

 

世の中にはノマドライフという言葉もあるそうですね。好きな場所に住んで会社や組織に縛られずに自由に生きることらしいです。普通の人(というのは固定概念に捕らわれすぎか)は、やりたい仕事のあるところに定住するわけですが、ノマドライフの場合は移動したいところで仕事を探すという感じでしょうか。ですから逆に仕事は何だっていいということなのでしょうね。

 

でも、実際に日本のビジネスマンは大変なローンを組んでマイホームを購入することで土地に縛られますし、そのローンを返済する必要があるから会社に縛られますよね。場所にも縛られて、仕事にも縛られて、そういうのはノマドじゃなくて何と呼ぶのでしょうか。でも、日本で耳にするノマドライフって優雅なレジャーのイメージで、それが〝生活〟じゃないですよね。

 

映画「ノマドランド」で描かれた過酷な世界をみると、助け合える仲間がいて、美しい景色に出会えて、煩わしい人間関係からも解放されて、羨ましいと思うところもたくさんありましたが、とてもじゃないですが私には真似できそうにありません。主人公のファーンはなぜこのような生活を選択するに至ったのか。彼女はこの生活をこれからも続けていくのか、緊張感あるドラマでした。

 
▼ノマド生活を始めたファーンは仲間にも助けられて
 
ファーンの矜持、流儀のようなもの

ファーンはネバダ州の鉱石の採掘工場で栄えた企業城下町の社宅で幼少期を過ごし、成長し、結婚し、年齢を重ねていったのですが、それがリーマンショックで会社が傾き企業が倒産してしまうのですね。昔はそこに全てがあった(ゴルフ場まであった)という街は閉鎖されて、そこで暮らしていた社員や家族は突如として否応なく街を出て行かざるをえなくなるのです。

 

既に夫を亡くし60歳を過ぎていたファーンはキャンピングカーを購入、必要最低限の生活品と少しの思い出の品を持ち込んでノマド生活をスタートさせます。放浪の旅に出た彼女は自分のことを〝ホームレス〟ではなく〝ハウスレス〟だといいます。彼女はもと学校の先生で矜持(プライド)もあるし、そこに何というか彼女の生き方に関する流儀みたいなものを感じます。

 

ノマド生活を送るファーンですが、自分が最高に幸せだったころの絵皿や写真から過去を懐かしむ姿が出てきます。彼女の場合はノマド生活を選んだものの、この生活を続けるかどうか少し揺れているところがある気がしました。実際に彼女の心に揺さぶりをかけてくる姉や男のエピソードもあり、そこで彼女が〝自分の生き方〟を選択し、決意していくドラマだと見ました。


映画のラストでファーンはかつて自分が住んでいた、今はゴーストタウンのようになった街の自宅を訪れます。そこにあったであろう多くの人たちの普通の生活。リーマンショックの傷跡の深さを感じさせます。改めてそこにもう自分の生活はないことを確認し、ファーンははっきりと過去の自分と決別したのでしょう。自宅の裏に広がる砂漠からファーンは新たな人生という旅に出発。

 

▼アメリカの広大な土地と壮大な景色だからこそのノマド
 

理由も境遇も異なるノマド生活者たち


この映画ではノマド生活を送る様々な人が登場します。ファーンも実際にはそのうちの一人にしかすぎなくて、みんな理由も境遇も異なっています。だから苦労の仕方も色々なんですね。でもやっぱり高齢になるとお金にも困るし、体調の管理もままならなくて、ノマド生活を継続していくのは大変なんだなと感じました。でも帰る〝家〟が持てないことが理由ならばどうしようもないです。

 

Amazonの配送センターが超多忙になる年末のクリスマス時期にノマド生活者に仕事と駐車場を提供していることをこの映画で知り興味深かったです。Amazonの労働も高齢者にはかなり過酷なようでして手放しでは賞賛できないのかもしれませんが、それでもそういうチャンスを提供しているというところはCSR活動の一つとして評価されているのかもしれないですね。

 

でも本当にノマド生活者が就ける仕事となると限られているのですね。そんなノマド生活者たちを支援する団体というのもあって、教祖のような方も登場します。こういうみんなで困っている人たちを助け合おうというボランティア精神の強いところがいかにもアメリカらしいなと感じました。自然災害が頻発している日本でも最近はこれと同じ動きが活発化しています。

 
▼女一匹、ファーンが今日も行く!という渋いラスト

 


この映画、ドキュメント映画のテイストが強くて、まるでフランシス・マクドーマンドが本当のノマド生活者のなかに混じって生活をしている様子をずっとキャメラで追い続けた番組のような雰囲気なんです。編集の仕方がシーンとシーンの繋ぎが滑らかじゃなくてブツ切りのような印象が残るのですが、そこの粗っぽさが逆に映画全体にリアリティをもたらしています。

 

・・・と感じておりましたら最後のエンドクレジットで流れてきた俳優さんたちのお名前を見てビックリしました。本当のノマド生活者の皆さんが登場されているのですね。道理で演技を感じさせないはずです。ということで、やっぱりこれはセミ・ドキュメンタリー的な映画なんですね。日本の映画監督に例えるならば、「朝が来る」の河瀨直美さん的といいましょうか。


雇用延長で労働人口が高齢化していくなか、また格差社会や年金問題という厳しい現実のなかで、自分の人生終盤の生き方について考えさせられてしまいましたねー。映像も音楽もとても美しくて、それももう一度観たい理由です。

 
トシのオススメ度: 5
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2 アレレ? もう一つでした
1 私はお薦めしません
 
この項、終わり。