15時17分、パリ行き
3月3日(土)、TOHOシネマズ府中のシアター1で、10時55分の回を鑑賞しました。
2018年作品/アメリカ/94分
監督 クリント・イーストウッド
出演 アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス
2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、銃で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。しかし、その列車にたまたま乗り合わせていた米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーが男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する(以上、映画.comより抜粋)、という実話です。
クリント・イーストウッド監督最新作。1930年生まれの87歳という年齢を感じない創作意欲が凄いです。フィルモグラフィを見ると、この10年間ほぼ毎年のように新作を発表し、題材はノンフィクションをアレンジしたものがほとんど。かつ、多くが英雄譚として無類に面白いという。
今回の「15時17分、パリ行き」は、その実録物・英雄譚のなかでも、意表を突く仕掛けがしてあり〝あっ〟と言わせます。また、映画ではなく日常社会におけるヒーローと呼ばれる人々が、いかに誕生するのかという点についての、彼なりの考察が成されているように思いました。
英雄は英雄になることを自覚して行動しているわけではない
ヒーローは最初からヒーローとして産まれ出てくるわけではなく、誰しもが普通の人間として産まれ、生きているのですね。この映画は、スペンサー、アレク、アンソニー3人の小学校生活が最初に描かれるのですが、この3人こそが後にテロリストに立ち向かう英雄たちなのです。
映画は、3人がスーパーマンだったわけではなく、普通というよりも、むしろあらゆる過程において落ちこぼれ的な存在であったことを説明していきます。ただし、人を助けたいという思い、そのためにはどんな努力も惜しまないという気持ちは人一倍強いのですね。
しかし、スペンサーとアレクは志願した軍隊でも期待していた活躍の場を与えられることなく、アンソニーとヨーロッパ旅行へ。ローマ、ベニス、アムステルダムと周る彼らの姿は、英雄とは真逆のはしゃぎぶりで、大学生のお気楽な卒業旅行の乗りのよさなのでした。
▼カトリック系の厳格な小学校に通う、落ちこぼれと言われた少年たちの友情
日常に潜む運命の分かれ道を、人は知らずに選択している
イーストウッドは、旅行中はとにかく3人の様子をたんたんと追っていくのですね。しかも、家庭用のビデオカメラで切り取ったような平板な映像で。しかし、刻一刻と運命の瞬間が迫っていっていることは観客だけが知っている事実で、その意味で緊張感は失われることはないのです。
そういう3人の男たちの姿を追いかけながらも、実は彼らの今現在は、これまでの人生の中で行われたいくつもの選択の上に成り立っていることが観客には分かるのですよね。どれか一つ歯車が狂っただけで、彼らは15時17分のアムステルダム発パリ行きの列車に乗ることはなかったのかも。
彼らが、あのままカトリック系の厳格な小学校で学んでいたらどうなったのか。軍隊で柔術の訓練を受けていなかったらどうなったのか。アムステルダムへ行かずにいたらどうなったのか。Wi-Fi車両が満席だったらどうなったのか。そして、あの時、ライフルにもしもー。
▼この長閑さ、一体、誰が彼らがテロと出くわすことを想像できたことか
英雄が誕生するときの偶然性と必然性について考える
テロリストに果敢に向かっていき、惨事をくい止めた彼らの勇気と行動は誰もが賞賛する素晴らしい行為。しかしあの瞬間、彼らを普通の人々から力強く脱皮させたものは何だったのでしょう。もしかしたら無謀な行為に終わっていた可能性も否定できないのに、それでも彼らを行動に走らせたものとは?
イーストウッドは、結果として英雄になった彼らを通して、観客にそういう問いかけをしてきているようです。英雄誕生の偶然性と必然性について考えてしまう、それが本作の面白さではないかと感じました。単なる英雄についての映画は撮らないという、さすがイーストウッド印ではないでしょうか。
偶然に感じても、あとから振り返ってみると必然ではなかったか? と考えてしまう瞬間というのがあるように思いますが、既に確定してしまった事実について、かなり遠い過去から現在に向かってドラマを進めていくことで、この映画はその感覚を与えてくれているように思います。
▼彼らがこの列車に乗車したこと自体が、奇跡のような巡り合わせなのかと
そして、その手法がまたチャレンジング。もうご存知の方も多いと思いますが、3人の英雄を含めて多くの人物を、大胆にも実際の本人に演じさせているのですね。この効果はラストのラストで最大の効果を発揮するので、ぜひこれは映画館で実際にご覧いただいて確かめてもらいたいと思うところです。
ただ、それが映画として面白いのかというと、必ずしもそうとは言えずー。しかしながら、それは取りも直さず現実と映画(虚構)の違いを示しているわけで、その微妙な退屈ささえ、イーストウッドの企図するところであったのかも。
キャスティングも含めて、こんな映画は二度と生まれないのではないかと思います。
オススメ度: 4
5 必見です
4 お薦めです
3 興味があればぜひ
2 もう一つです
1 私はお薦めしません
この項、終わり。