こんにちわ。
近頃に読んで
大変興味深い本がありましたので
思ったこと、感じたことなどについて
ブログを書かせていただきます。
参考書籍:「コンビニ人間」
村田紗耶香氏 著
2018年刊行

「普通とは何であるか?執拗なまでに
問い続けてきた村田作品の集大成!
世間のものさしに少しでも違和感を
感じたことのあるあなたのための物語。」
と、帯に書かれています。
主人公の古倉恵子は
子どものころから世間にうまくなじめない。
しかし。学生のときに
始めたコンビニのアルバイトで
彼女は変わったのでありました。
p10
「そのとき私は
初めて世界の部品になることができたのだ。私は今自分が生まれたと思った。
世界の正常な部品としての私がこのとき確かに誕生したのだった。」
コンビニで18年間ずっとアルバイト。
36年彼氏はいない。
恵子本人は全く問題だとは
思っていないが
世界はこれを普通ではないと
言う。
コンビニの「店員」でいる間だけは
世界とともに回る歯車になれる。
世界と接続できる。
この本のおもしろいところは
この主人公を据え、普通を問うことで、
逆にその対極にある世界を意識することができること。
「普通」で塗り固めらた
この世界は果たして真なのでしょうか?
それがよくわかる
こんな一節があります。
恵子が旧友たちと
BBQをしますが、
友人たちの多くは
結婚し、子育て中。
結婚していなくても
社会的に成功して多忙にしている。
普通であれば
今だ独身でアルバイトで生計をたてる
恵子の立場では居心地悪さを感じてしまう場面。
友人たちがなぜ結婚しないのか?
なぜいまだにアルバイトなのか?
と質問します。
でも、恵子には
世間のものさしがありませんので
今の自分の状況のはたして何が悪いのかが
理解できません。
だから
友人たちの質問に対して
恵子はこの状態で何がいけないのか、と
逆に友人たちに質問を投げかけます。
これに対して
場の空気が一変。
恵子と友人たちの間に
見えない壁ができます。
p84
「皆少し遠ざかりながら私から
身体を背け、
それでも眼だけは
どこか好奇心を交えながら
不気味な生き物をみるように
こちらに向けられている。
「あ、私異物になってる。」
(中略)
異物は静かに削除される
まっとうでない人間は
処理されていく。」
普通の世界の冷酷なルール。
本書は鋭く描いています。
皆、恵子の立場にならないよう、必死に普通になろうとします。
結婚して家庭を持ち
良い会社に勤め社会的ステータスを上げ、
忙しくしている。
これらは
アイデンティティーを強化するだけになっていないでしょうか?
アイデンティティーは
人から自分を良く見られたいということです。
でも、その努力が本当に自分の求めていることなのか?
今は風の時代と言われています。
これまでの価値感が壊れて
新しい「ものさし」を模索していくべき時代。
思うに主人公恵子は、
この風の時代に
別次元からこの
不完全な三次元に
やってきた者なのではないでしょうか。
魂が完成形の場合には
アイデンティティーなど不要。
この本が言いたかったところは
ここではないかと思います。
本日は風の時代の必読書?! 普通って何?「コンビニ人間」村田紗耶香氏 著を読んで感じたこと。
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
本日は感銘を受けた本について読後感を書かせていただきます。
参考書籍:「賢い身体 バカな身体」
桜井章一 甲野善紀 氏共著

とかく現代人は身体の使い方が下手。
このテーマに沿って
伝説の雀士 桜井さんと武道の達人 甲野さんが
所感を対談形式で語り合っていくという内容
です。
この本が書かれたのは
2008年ですから結構古い本ですが
今も色褪せない、輝きがあります。
この本のすごいところは
本書のテーマである身体にとどまらず
もっと全体を俯瞰したところで
人間の本質的なところを語っていることです。
たとえばp102
現代社会の問題点について論じたところ。
例えば昔は玄米は白米より安かった。
素朴なものが特別になってしまっている
現状に対して、おかしいだろう!と両氏は言っていますね。
玄米を精米して白米を作るわけなので
白米は精米工程を経る分、
コストが上乗せされ、玄米より白米が販売価格が高くなっても
当然です。
ところがそうはならない。
確かにこれっておかしいです。
非常に手間のかかる伝統工芸品を作る職人さんの賃金が
時給換算でコンビニの店員のそれを下回ってしまうような
ことも同じ。
人間本来の価値が異常なまでに
破壊されてしまっているのが現代の世の中なのです。
そんな複雑な現代、私たちはどう生きていったらいいのでしょうか?
本書には素晴らしい指針が示されています。
それは矛盾を矛盾として矛盾なく扱って
いくことだと言っています。
どういうことなのでしょう?
一見矛盾にみえることでも
それを排除せずに飲み込んで
前向きに展開していくセンスだと。
たとえばいじめの問題があります。
いじめはとてもいけないことですが、
人間の本能の中には他人への攻撃本能というものがある。
同時に他人を思いやったり、助けたりという
矛盾した現実があります。
それなのに
いじめは良くない。だから
やめましょう。となる。
これでは解決しない。
いじめへ駆り立てる本能と
思いやりを同時にもつという
人間はとても複雑で奇妙で
矛盾に満ちた生き物なのです。
ところが今は人間を劣化させようと
社会は動いているようです。
すべてを
〇か×かの単純化してで片づけていこうとしています。
どんな物事でも〇×ゲームのように単純に
してしまおうという風潮がある。
でも複雑で矛盾に満ちたこの世の物事が
すべてこんな枠に収められるわけがありません。
では、どうすればいいのでしょうか?
p120
「矛盾を認める差別感を洗練させていく。」
ことだと本書は提案しています。
物事を〇×で論じるような
幼稚な潔癖は不要。
害でさえあります。
求めらるものは洗練された差別感なのです。
その際大事な点があって
人間には本能と理性の間に
無数の隙間があって
それが矛盾というねじれを引き起こしている。
本来自然には矛盾は存在しないはずです。
それが矛盾に見えるのは
先の人間がもつ本能と理性の隙間が
生んだ矛盾を人間が矛盾ととらえて
あーでもない、こーでもないと
言っているだけ、、、。
思うに今の世の中は
なんでもわかりやすくです。
わかりにくいことは罪みたいな
風潮があります。
許容範囲が狭くなって
ちょっとした理解できないことにも
堪えられなくなってしまっているのでしょう。
普段の生活で
この本の教えは活かせますね。
なんとも理解に苦しむ事態
に遭遇したとき、
今回の矛盾を矛盾のまま
受け入れるという作法を
思い出し、前に進んでいけたらと思います。
本日は矛盾を矛盾として矛盾のまま受け入れる度量! 「賢い身体 バカな身体」桜井章一 甲野善紀 氏共著を読んで感じたこと
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
最近の活動として、子ども食堂に加えて
子どもアドボケイトの活動なども始めました。
子どもアドボカシーとは
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子どもが意見や考えを表明できるようにサポートすること。
アドボカシー(advocacy)は、ラテン語の「voco(声を上げる)」に由来します。
子どもアドボカシーを実践する人を「アドボケイト」といいます。
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出典 日本財団ホームページ
子どもに関する活動が
多くなってきたのは
今は全体的に子どもを取り巻く環境が
厳しくなっていきているように強く感じるから。
今読んでいる本の中にも
アドボケイトについての記述があり、
「なるほどな~。」と思いました。

参考書籍:「子どもが心配」
養老孟司氏 著
養老さんと小児科医の高橋さんという方が
アドボケイトの役割について話をするくだりがありました。
アドボケイトは物言わぬ子どもの声に
耳を傾け、代弁することが役割とした上で、
その本当の役割について話しています。
p65
「物言わぬ子どもたちが
実際に 声を出すことは少ない。
だから耳を傾ける以前に
子ども立場に立って
何を言いたいのか察知し、
互いに理解し合える言葉に
翻訳して語りかける。
その対話から違和感の正体を
あきらかにしていくことこそ
本当の役割だ。」
アドボケイトは
子どもに悩みや意見を話してもらおうと
働きかけます。
何か言ってもらわないと
代弁しようがないと考えてしまいます。
でも、そうではなくて
子どもは言葉を発しないことを前提に
表情などからその胸中を察して
子どもが納得できる言葉をお互いに探っていく。
すると違和感の正体が見えてくる。
見逃しがちな視点で
とても勉強になりました。
少子化の問題についても
語り合っています。
人口減少の現状、
予想される暗い未来に
ついて世間は心配しがち。
でも、問題の本質はそこではない!
と指摘している箇所があります。
p68
「少子化の問題は人口が減ることではない。
なぜ現在の日本人は子どもを欲しいと思えないのか?
さらに言えば子どもが可愛いという感覚が
失われつつあるのはなぜか?
それが根本問題ではないか。」
若い世代に金銭的余裕がないから
という風潮もありますが、
それにはどうも納得がいかない。
少子化の今、子どもをつくって
立派な大人に育てなさい
というプレッシャーを社会全体が若い世代に暗黙裏にかけている、のではないか
と指摘しています。
若い世代にプレッシャーを
かけておきながら、
自分たちはどうなのか
この本後半部で紹介されていますが、、
p197
「戦後、日本人は個人行動を
好むようになり、共同体の一員になることや
共同体で助け合って生きていくことを
「古い」とか「封建的」と言って壊してきた。
日本人はもとからあった「つながり」
をわざわざ壊してばらばらにしたんですね。」
だから求められていることは
少子化の解消を若い世代任せではなく、
社会が「つながり」を再構築して
共同体で子どもを育ててあげるといった受け皿的なものを
用意してあげる。
これが少子化対策では
ないでしょうか?
この本を読んでそのように感じました。
本日は「子どもが心配」養老孟司氏著を読んで感じたこと 少子化問題の正体/子どもアドボ活動の本質
ということでブログをお届けしました。
ではまた。