生きづらさの原因か?!日本語の性質が禍いしている。 | アフターコロナを生き抜く!これから起こる変化について発信するブログ

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こんにちわ。
本日は日本語の微妙なニュアンスについて
ブログを書かせていただきます。

参考書籍:「日本の歪み」
養老孟司 茂木健一郎 東浩紀 3氏著








識者3人が日本の歪みについて語り合うという内容。
いろいろな気づきが得られてとても興味深い本です。






なぜ、人は生きづらさを感じてしまうのか?
なぜ、人間関係はこんなに息苦しいのか?






これらの「なぜ?」について
さまざまな角度から
話し合っているのですが






その中で、日本語と英語が全く違う
言語の性質をもっていると書かれた箇所があって、
なかなか面白いと思いました。







言語には「事実確認的機能」と「行為遂行的機能」と
いう機能区分があるのだそうです。






日本語は行為遂行型で、
事実確認型には向かない性質をもつ。







例を出すと、
人から「あなたはどこから来たのですか?」と問われ、
「東京です。」と答えるのが事実確認的なのですが、
日本語ではどこかぶっきらぼうな印象を持たれてしまう。







だから日本語で実際答えるときには
「一応東京から来たんですけど。」
などと余計なことを言わないといけない。






そして日本語では事実確認的な言葉も
行為遂行的な言葉として受け取られがち
という指摘がされていました。




たとえば、「No smoking」
事実確認的言語の英語であれば
まったく問題ない。





でも、これを日本語で表すと
「ここは禁煙である。」となる。





事実を伝えただけですが何か失礼にあたるような印象をあたえてしまう。
そこで「ここでの喫煙はご遠慮くださいませ。」
などと周りくどく言わねばならないのが日本語なのです。





このように言葉の回り道をしているうちに、
微妙なニュアンスの違いを
愉しむことができるようになった
ことはメリットとしてあるのかもしれません。





昭和歌謡に「別れても好きな人」という名曲があります。





ロス・インディオス&シルヴィア

佐々木勉 作詞・作曲・編曲
1979年





ある女性が、以前別れてしまったの男性と
渋谷の街で偶然再会します。




別れた日と同じく、
その日は雨が降っていました。




二人は東京を散策します。




渋谷、原宿、高輪、赤坂、一ツ木通り





最後に女性が惜しみつつも男性にさよならを告げるのですが、
そのフレーズがとても素晴らしい。





「ここでさよならするわ、雨の夜だから、、。」
というのですが、とても粋な歌詞だなと感心します。





もしこれが通常の語順で、
「雨の夜だから、ここでさよならするわ。」
であればどうか??





これだと単に用件を伝えただけに終わってしまい、
全くつまらない。





「ここでさよならするわ、雨の夜だから、、。」
語順をこうするだけで切ない感じがぐッとでて
とても深い余韻を感じることができます。



語順はどちらでも同じ意味。

でも、全く違ったニュアンスになる。

これって日本語のすごさです!




これは作詞の佐々木勉さんを絶賛すべきですが、
それ以前に日本語がストレートに用件を述べたりすると角が立つ言語なので、
いろいろ気を遣わって語順などを変える必要があったがためにこの良さが生まれたのだと思います。






このように微妙なニュアンスを愉しめる
日本語って最高!と締めくくりたいところですが
人間関係を円滑にすると考えたときはどうかでしょう?







自分の気持ちをストレートに相手にぶつけたいが
ぶつけてしまうと相手に失礼となる。
だから、うまく自分の気持ちを表現できない人は
胸に自分の気持ちを隠したままもやもやするが黙っているしかない。






これはストレスがたまってしまいますね。







これが生きづらさの大きな要因になっているようにも感じました。







本日は 生きづらさの原因か?!日本語の性質が禍いしている。ということでブログをお届けしました。

ではまた。