真実は五感を超えた領域にある?!小林秀雄「直観を磨く」を読む | アフターコロナを生き抜く!これから起こる変化について発信するブログ

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こんにちわ。
本日は五感を超えた領域について
ブログを書かせていただきます。

参考書籍:「直観を磨くもの」

小林秀雄 著




小林秀雄
(1902-1983)東京生れ。東京帝大仏文科卒。
1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」
誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」
はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』
『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は
「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、
終戦の翌年「モオツァルト」を発表。1967年、
文化勲章受章。







小林秀雄がいろいろな文化人と
対談した様子をおさめた本です。






タイトルが直観を磨くということで
とても興味がでて読んでみることにしました。







その中で五味康祐と音楽について
語り合うところがあります。







五味康祐
(1921-1980)大阪に生れる。早稲田大学英文科中退。
様々な職業を転々とした後、文芸評論家保田与重郎に師事する。
1952年「喪神」が芥川賞を受賞して注目された。
以後、時代小説家として活躍し、剣豪ブームをまきおこした。
『秘剣』『一刀斎は背番号6』『柳生連也斎』『柳生天狗党』
など時代小説の他、音楽の造詣を生かした『西方の音』はじめ、
趣味が高じた野球評論、麻雀、占い等も玄人はだしであった。







「直観」について
小林秀雄が本質的な考えを述べています。








五味がレコードの音と
生演奏の音とでは違いがあって
ナマの音にはレコードはなかなか
適わないといった主張を
する箇所があります。








それに対して小林秀雄は
音についての見解を
述べるのですが
それが本質をついていて
とても良いのです。








「そうです、トランペットの音質を感じる。
音質というものを聴いているんだよ。
ナマの音というのは感受される音なんですよ。
計算できるものは量でしょう。
量のほうを操作して人間の耳が感受できない
ような音さえ再生する装置はできる。
だけれどもそんなものぼくらには一つも
いらないでしょう。
耳は自分に合った音色、それだけをキャッチする
わけだろう。量を研究してみんなナマの音に
近づこうとするんだがそうじゃない。
実は自分の耳に近づこうとしているんだ。」






ここでのポイントは「ナマの音」の解釈です。





五味はナマの音は真実で
これに勝るものは無いというスタンスです。





ところが、小林はナマの音は
人間に「感受される音」であると
しています。





感受される音とは
人間の五感の一つである
聴覚がひろえる範囲のもので
あって、真実ではないと
言っているのです。






少しあとのページで
小林は次のようなことを
述べています。







「巨大な音の世界があります、






でもそれを人間には聴けません。





僕らはほんのわずかしかしらない。」






では、聴覚を超えて
人間は真実の世界を感知する
ことは絶対にできないのでしょうか?






そのためにすることは

まさにこの本のタイトルの通り

直観を磨く。

 

 

 

 

 

 

 

これに尽きるのでは

ないでしょうか?







この対談の様子はYou Tubeでも視聴することが
できます。(音声のみ)

【小林秀雄】 音楽談義 聴き手・五味康祐
https://www.youtube.com/watch?v=lTvcW2NcfzM&t=18s






興味がある方は観てみることを
おすすめいたします。




本日は 真実は五感を超えた領域にある?!小林秀雄「直観を磨く」を読む
ということでブログをお届けしました。

ではまた。