世界史において、私は、ずっと「民意」が政治を牛耳ってきたように思うので、「民主主義」が通奏低音として歴史の背景に流れていたと考えています。けれども、必ずしも「民意」を反映した時代が、人々に幸多い人生を提供することが出来たかについては疑問を抱いています。

その理由として、一番最初に思い浮かぶのは、あのヒトラーの率いるナチスを支えたのが、ほかならぬ「民意」だったからです。もちろん、「民意」が騙されてしまうこともありますが、それも含めて、「民意」の是非を考えるべきだと思います。

 

そのように考えると、哀しいことですが、「民意」とは、なかなか信用できないものだと思えてしまうのです。つまり、それは「民主主義が信用できない」と言っていることになってしまいます。

これまで私は、少し「民主主義」に疑問を持ったこともありますが、権力が暴君や独裁者の手に渡るよりも、ずっと優れた政治形態だと思ってきました。ただ、本来の三権分立のように、権力の分散が出来ていない現代では、「民意」が暴君や独裁者になりかねません。

つまり今の政治は、とても危険な状態にあるのではないかと、真剣に私は憂い出したのです。その兆候は、在位最長だと言われている、現代日本の安倍政権下にも垣間見えているような気がします。

 

政治にも「神の手」が働くから、自然に良くなるという楽観論もなくはないのですが、私の両親の世代が青春時代を暗黒に暮らさざるを得なくなったような、時代の犠牲者が出ないようにするのが、人間の叡智であるような気もします。

そのためには、必要悪とも言われる政治を、小さくしなければならないと思うのですが、権力の膨張は自然現象なので、これを抑制する制度が重要になってくると思います。そして何より、「民意」が、権力批判の精神を貫かなければならないと思うのです。