師走の今頃になって、来年の目標を立てようとしていること自体、崖っぷちに自分が置かれている状況を分かっていない証拠かもしれません。もう、反省などしなくていいから、明日に向かって撃って出なければならないはずなのに、頭に浮かんでくるのは己(おのれ)の不甲斐なさと、目標への憧ればかりです。

いつまでも憧れであってはいけないはずの文学が、未だに夢でしかないことに、我がことながら、つくづく呆(あき)れ果ててしまいます。輝かしい「将来の文豪」を夢見ていた厚顔の未少年は、70歳を超えた今になっても、何ら成長らしき兆候も見せることなく、上っ面だけの夢を胸に宿したまま、朽ち果てようとしているのでしょうか?

 

このようなことを考えていると、全力を尽くして生きてきたつもりの道のりが、いかにも虚しく、愚かしいものに見えてしまうのです。この時ばかりは、いかに楽観的で享楽的な人生を過ごしてきた私も、暫し、暗澹(あんたん)たる気分になるのですから、今年の年末は、のんびりとした例年とは違います。

それは、71年と半年を生きてきて初めて見える、これまでになかった新しい風景なのかもしれません。けれども、それが見えたからと言って、これからの人生をどのように描けばいいのでしょう?八方塞(ふさ)がりのように思うと、むしろ居直って、何も変えないでいいのではないかと思ってしまいます。

けれども、それでは自暴自棄とあまり変わらないではないかとも思い、やはり、反省すべきは反省しなければと思ってしまうのが、私の凡人たる所以(ゆえん)なのかもしれません。そこで、凡庸な私が、ようやく最近になって分かってきた私の致命的な欠陥について考えることにしました。それが、「ひたむきさが足りない」ということです。