私が愛してやまないものではあるのですが、人間の五感
は、残念なことですが、錯覚のために様々な誤謬が生じる
ようです。このことは、誰もが知っている事実でもあります。
 このことを私は何度もブログで語ってきました。その一例
を挙げておきます。
[ご参考] 「凍(い)てつく心」の記事です。
http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-12095747536.html
 
 この錯覚は、時にはご愛嬌になったり、時には真実よりも
影響力を持ったりします。すべての錯覚が、人間にとって、
必ずしもマイナスにはならないような気もします。
 ただ、「嘘も方便」と同じような意義のある錯覚もあるかも
しれませんが、概して、単純に錯覚を事実だと思い込むこと
は、あまり良くないような気がします。
 やはり、事実を知った上の嘘でなければならないように、
錯覚も、事実を知ったうえでなければ、真実から遠いところ
で生きなければならなくなってしまいます。

 もちろん、「騙すのなら、最後まで騙して欲しい」との姿勢
も、悪くはないと思うのですが、それは相手が善であること
が前提の話です。
 悪の言いなりになって、事実や真実を見失うようなことが
あるなら、きっと、いつかはその嘘や錯覚を恨みたくなるの
ではないかと、私は思うのです。

 そこで、今、ちょっと気になっている錯覚について、ここで
綴っておこうと思いました。