パリの同時多発テロのニュースが飛び込んできて、私の
心は、本当に凍てついてしまいました。このニュースの受け
止め方には、多くの人に共通するものと、共通しないものが
あると思います。
 そのようなことは、大きなニュースの宿命だとも思うのです
が、テロのように政治色の強いニュースは、えてして、共通
する感情を煽るように表現されることが多いように思います。

 「罪のない人を犠牲にするテロ行為は憎むべきだ。想いを
一つにしてテロ行為を糾弾しよう。」

 このように声高に叫ばれると、私も何かをしなければいけ
ないなどと思ってしまいます。それは、冷静な判断ではなく、
躍らされた感情が導く世界なのです。
 ですから、落ち着いて考えると、一時的な興奮は収まって
きます。感情は、人間の基礎的な五感の総合体だと思いま
すが、錯覚が多いことも事実なのです。

 ここで心配になるのは、このような感情を、政治に悪用し
ようとする人たちがいることです。ナチスドイツがそうでした。
もっと歴史を調べれば、そのようなことは政治の常套手段
だったのかもしれません。
 そうして、戦争は拡大し、結果的に犠牲者の数が増えた
のではないでしょうか?平和は力で勝ち取るものとの錯覚
を認めなければ、まともな人間とは思われないような時代
が続いていたような気がします。

 日本は、太平洋戦争で大きな犠牲を払いました。それが、
積極的でない、戦争放棄の平和主義を導いたと言えるの
ではないだろうかと、今、私は思っています。
 ところが、今の日本政府は、はっきりと「そうではない」と
言っています。積極的平和主義と集団的自衛権で、正面
からテロと戦おうとしているのです。