ぼんやりテレビを見ていると、底冷えのする京都の冬には
温もりがあると解説していました。西洋人は、寒いと暖房を
して暖まるが、日本人は、五感に温もりを伝えて暖を取った
と言うのです。
食べ物、鐘の音、掛け軸の図柄、障子や屏風の持つ保温
効果など、確かに寒さを凌ぐため、ずいぶん昔から工夫され
てきたものだと感心します。それなのに、今では多くの日本
人の五感が曇ってしまいました。
かつては繊細で鋭敏だった感覚を、日本人が惜しげもなく
捨ててしまったのは、明治維新による西洋化によるものだと
思われます。何事にも柔軟な日本人は、一旦西洋化に舵を
取ると、見事に成功させたのです。
その勢いは、西洋を超えるまでに突き進んでしまいました。
軍国主義に傾き過ぎたために、一度は何もかも失ってしまう
ほどの苦境に陥りましたが、戦後の「奇跡の復興」を経て、
再び西洋の先頭グループに追いついたのです。
それは、主として「物」の世界においての事でした。「心」
の世界が衰退したとは言えないまでも、「心」が経済発展の
影に追いやられたことは事実だと思います。
それで、日本人も西洋人と同じように暖房で冬を凌ぐように
なり、反面、五感は精彩を欠いてしまったに違いありません。
もちろん一部では、伝統的な暮らしが守られているように思い
ます。まだまだ、日本の伝統美は息づいているはずです。
ただ、少なくとも私の暮らしの中では、これらの伝統は姿を
消してしまいました。転居した私の前には、「物」ばかりが広
がり、整理もつかないまま、ゴミに埋もれているのです。
いずれ必ず来る私の往生に際して、もう「物」は役に立ちま
せん。「心」を落ち着けて、その時を待つためには、すっかり
なまってしまった五感を、改めて研ぎ澄ますしかないように、
特に最近強く感じてしまうのです。