先ずは、この事故で亡くなった方々のご冥福を、衷心より

お祈りいたしたいと思います。まったく予期しない出来事に、

事情も呑み込めないまま、突然未来を断たれるような災厄

は、もう二度と起こしてはならないのです。

 私は、この事故の第一報を耳にした時、慄然としてしまい

ました。中央自動車道は、これまでに何度も通っています。

意識に残ってはいないものの、笹子トンネルも何回か通過

しているはずです。


 自動車を運転する人なら、トンネルに入ると、多少の不安

を感じることはあるのではないかと思います。けれども、誰

が、天井が崩落してくることを予想するでしょうか?

 そこには、日本の社会インフラに対する信頼があります。

原発の安全神話は崩れましたが、それは、原子力ムラの

エゴイズムがもたらしたものだと思っていました。

 ところが、安全に対する杜撰な意識は、原子力ムラだけ

に限ったものではなかったのです。考えて見れば、それは

当然のことかもしれません。私自身も、トラブルが起こって

からでないと、安全への意識が芽吹くことがありません。


 危険予知訓練など、交通事故への意識だけは、何とか

持ち続けているものの、そのほかの日常生活に関して、

安全を意識することは少ないのです。「私に限って」、との

過信があることも否定できません。

 多くの危険に対して「高を括る」性癖は、個人差はある

ものの、人間の性(さが)なのかもしれません。大災害を

避けるためには、それを前提として、リスクマネジメントを

考えなければならないと思うのです。


 今後、高速道路等のトンネルには、安全基準等が見直

されるでしょう。けれども、問題は根深い人間性に係わる

ことなのです。設計や建築など、科学だけを信用していて

は、思わぬ事故を防ぐことはできません。

 今や、自信満々だった日本の社会インフラが揺らいでい

ます。老朽化した橋や建物など、経年劣化などに楽観は

許されないはずです。予期せぬ事故を未然に防ぐことが、

もっと優先されなければならないと思うのです。