「もし……だったら」などとという想いは、還暦を超えて
しまった人間にとっては、とても残酷な叱責になることが
あります。それでも、自虐的に「もし」を考えてしまうところ
に、人間の哀しい性(さが)があるような気がします。
その性(さが)が、どうやら私には、人よりもたっぷりある
ように思えます。それが私を、痛恨の人生を振り返らせる
素になっているのです。
もし、私にゴルフの才能があり、あれよあれよと言ってい
る間に上達していたとすれば、私がサラリーマンだった時
の風景は、ずいぶん違っていたでしょう。もっとも、それは、
私の内心に係ることのみではありますが。
私のゴルフの腕前が、少なくとも、人並み程度であれば、
私がゴルフに注いだ時間とお金は、もっと膨らんだに違い
ありません。私の単純な思考回路は、自分に甘く、興が
乗るか乗らないかで、行動が決まってしまうのです。
かと言って、私がゴルフに対して消極的だったわけでは
ありません。職場で行われるコンペには、ほとんど欠かさ
ず参加していました。職場が変わっても、お誘いがあれば、
あまり断らないようにしていました。
会社という組織は、人間の集まりですから、仕事を円滑
に進めるために、人間関係が大切になることがあります。
今もゴルフは、その善悪は別として、人間関係を築くため
のツールになっているようです。
どうして私の腕前が上達しなかったのか?才能の欠如、
努力不足、意志薄弱。振り返れば、およそ、物事を叶える
ことができないすべての理由が当てはまります。
できなかったことを痛恨に想うのなら、事実と心象風景
を、正確に思い出さねばなりません。