二十年ほど前のことです。私は、重たい気分を引きずり

ながら、東名高速を快走していました。気が逸るのと、気

乗りのしない後ろめたさが半々で、まことに妙な心理状態

になっていたのを想い出します。

 「今さら」との想いが、ずっと私が鎌倉に向かう気持ちを

躇わせていました。関西から鎌倉までが遠いことは、昔

からわかっていたことです。距離は言い訳になりません。

それこそ、「今さら」なのです。

 それなのに私は、先生にお別れのご挨拶をしないまま、

礼の欠いた数年を過ごしたのでした。その重荷を降ろさな

ければとの想いが、次第に膨らんだのです。そのために、

とうとう私は、一路、鎌倉へと東名高速を急いだのでした


 私が、いきなり先生の訃報に接したのは、当時、勤めて

いた会社の、泊まり込みの研修に参加していた時でした。

ハードスケジュールの中、夕食後、わずかな休憩時間で

読んでいた夕刊で、先生が亡くなったことを知ったのです。

 その時の衝撃を正確に伝えることは、私には到底できま

せん。ただ、自分が生きる支柱にしていたものが、一気に

崩れ落ちてしまったような気がしたことは事実です。

 十数年もの間、ご無沙汰していたというのに、常に、私の

頭や胸には先生の息遣いがありました。不遜な言い方に

なってしまいますが、ずっと私は先生を、私の文学を正しく

評価することができる、唯一の人だと信じていたのです。


 それまでに、先生に見てもらうに足りるような作品を完成

できなかったことが、とても悔やまれました。その想いは、

今も私の胸中に深く刻まれたまま残っています。

 そのような想いがありながらも、未だに私は先生のご恩

に報いるだけの作品を書くことができないでいるのです。

先生への手向けの作品が出来上がるまで、どうしても私

は、筆を擱くことができないのです。