日経ビジネスという雑誌に、人気の名物連載があります。

「敗軍の将、兵を語る」との表題です。ご存知の方も多いと

思いますが、事業が上手くいかなかった経営者や政治家

などが登場し、敗戦の弁を語るのです。

 面白いのは、社会の出来事として報道されたことの内幕

が、かなりリアルに伝えられることです。そして、失敗した

事業にも、明確な狙いや戦略があり、それらが様々な理由

で、現実から背を向けられてしまう様子が語られます。


 それだけでも結構、野次馬的な好奇心が満足させられる

のですが、もう一つ、面白い視点があります。それは、ほと

んどの敗軍の将に見られるのですが、それぞれの語りの中

に、自己弁護的な言い訳が垣間見られることです。

 それは、巧みに隠されていることが多く、大抵の人は潔く

自分の非を認めています。ところが、成功への道筋が挫折

した無念さが、どうしても言葉の端々に現れてしまうのです。

 「だから失敗したのかな」とか「この人なら再起するだろう」

などと、まったく無責任な感想を持ちながら読むのですが、

私は自分がそのような読み方をすることに、少し後ろめたさ

を感じることもあります。


 私の「我が痛恨の人生」も、私は敗軍の将と言えるような

立派立場ではありませんが、私自身を兵とみて、自分を

律することに失敗したことを語るものです。そのため、素直

に挫折を見ることができないことがあるかもしれません。

 そのことを、私に気づかせていただくことは、大いに、私の

成長に繋がることだと思っています。それで是非とも、その

ようなコメントをしていただければと願っています。

 ゴルフは、30年間もクラブを握り続けていたのに、一向に

スコアが向上しませんでした。そこには、きっと私の致命的

な本質が潜んでいるように思えるのです。それなのに、今も

なお私は、失敗の元凶に気づくことができないでいるのです。