現代社会の中では、他人の評価を避けて生活することは、
ほとんど不可能のように見えます。自然人とまでは言わなく
とも、昔は、そのようなことはありませんでした。
価値の尺度であるお金が、多くのものを評価し、労働まで
をも評価するようになったのです。それに連れて、人は人間
を評価するようになったのではないかと思います。
そのように思うと、生きとし生けるものの本質的なものでは
ない他人の評価など、詰まらないもので、気にしても仕方が
ないように思えます。特に、心地よい他人の評価を、滅多に
もらったことのない私などは、そう思いたくなってしまいます。
このようにして、社会の想いと私の想いは、すっかり乖離し
てしまうのです。ただ私は、それでも構わないと思っています。
社会は、私のために何をしてくれるのでしょう?
もちろん、社会は個人のために多くのことをしてくれます。
それらへの感謝を、忘れているわけではありません。しかし、
現代では、それらを権利として考える風潮があります。逆に、
個人は、社会に奉仕すべきであるという考え方もあります。
私は、どちらの考え方にも与したくありません。それらは、
「…でなければならない」ものではなく、「私は、このように
考えて生きたい」という種類のものだと思うのです。
それで私は、自分の心に浮かぶことを大切に生きたいと
思うのです。何故なら、現実に把握できるのは、物理的な
ものを除いて、自分の心だけだからです。
他人の心は、全く見えません。見えたように思えることは
ありますが、実は、幻想か憶測にすぎないのです。社会の
中でも、人間とは孤独な存在だと思っています。
それでも、他人と心が共鳴することはあります。ですから、
共鳴できる他人を感じたとき、私は、深く感動するのです。
得難いものだからこそ、そこから、癒しとエネルギーを吸収
することができるのです。これは、評価とは別の世界です。