民主党政権は、国民の評価を気にするがゆえに、軸足

がブレ過ぎています。原発政策、社会政策、外交など、

信念は言葉ばかりで、行動にはその欠片もありません。

 ただ、民意を反映しようとする姿勢は、実は、政治姿勢

として非難されるべきではありません。むしろ、民意に耳

を傾けない政治こそ、国民は非難するべきなのです。

 ところが、民意が一つでなく国論が二分されているとき

には、政権がブレると、単なる人気取りの政治としか思え

なくなってしまいます。民主党の凋落は、このような国論

を二分する問題が、山積していることにあると思います。


 苛め問題で、関係者である校長や教育委員会が卑屈な

態度をとり続けるのも、自分を護ろうとの意識が強いから

です。生徒に対する想いよりも、自分を保身するために、

他人の評価を気にしているのです。

 もともと、他人の評価を気にする人が校長や教育委員長

になっていることを忘れてはならないと思います。それが、

今の社会の仕組みなのです。


 電力会社の経営者が原発に拘るのも、自分の信念から

ではないと思います。株主と言う、見えない他人の評価が

気になっているのです。

 今の経営者が気の毒なのは、短期的視点で当期利益を

出さなければ評価されないという、経営の仕組みになって

しまっていることです。

 これに、個人の出世、利得などのエゴイズムが、絶妙な

コラボとなっているのです。やはり、他人の評価を中心に、

行動する人が経営者に選ばれています。


 他人の評価のために生きている人は少なくありません。

実際、我が身を振り返ってみると、小学生になって以来、

61歳で退職するまでの間、他人の評価など意味がない

と思いながら、私もそれに振り回されていたのです。

 そこで、この得体の知れない他人の評価について、少し

考えてみたいと思いました。