私が24歳で就職をしたのは、不本意であるとともに期待
に満ちたものでもありました。その意味で、私は、人並みに
就職できたものの、それは、とても矛盾を孕んだ旅立ちでも
あったのです。
不本意であるというのは、もちろん私が就職するつもりで
なかったということです。私は、学生時代に文学で身を立て
ることができなかったという挫折感が、強かったのです。
同人雑誌の発行や文芸評論家を師に仰ぐなど、四年間、
それなりに努力したつもりでした。けれども、結局夢は叶い
ませんでした。
私が、そのまま文学の夢を追い続けて文士もどきの生活
に身を置かなかったのは、「普通の生活の中から、真実を
描くのが君の文学」という友人の言葉に、私も納得したから
です。そこには、就職に対する私の期待がありました。
私が、定年後の契約社員としての立場を、わずか一年で
放棄したのは、私の余命と文学への想いを天秤に掛けて、
どうやら想いに大きく傾いていると感じたからです。
もともと、50歳を一つの節目だと考えていました。しかし、
その時点では、仕事も経済状況も、退職できるタイミング
ではなかったのです。
結果的に、私は自分の天職と思っている文学ではない、
サラリーマンの仕事に30数年に亘って従事してきました。
よく我慢したなぁと思いますし、面白かったなぁとも思って
います。就職時の心の矛盾は、引きずったままでした。
幸いなことに私は、とても多種多様な仕事に恵まれまし
た。これらの経験は、友人の忠告の通り、これから文学に
昇華しなければなりません。けれども、そのままエッセイと
して昇華前の現実を描写したいという欲求もあるのです。
そこで、この「労働と日々」というテーマの中で、実務に
ついての小論を綴りたいと思います。それは、私の矛盾
を解き放とうとする想いでもあります。守秘義務等の制限
はありますが、できる限り具体的に書きたいと思うのです。