例外的に首記の記事を補足します。


 補足の趣旨は、私がブログ記事を書くことを止めたことに

関して、私を気づかせてくれた人へ、中傷メッセージが寄せ

られていることを知ったからです。

 これは、私の記事の中での説明が不充分だったからだと

思いました。そこで、少し、屋上屋を架すことになるかもしれ

ませんが、私の気持ちを整理したいと思います。


 まず、私がブログ記事を書くのを止めた理由が、不明瞭で

した。何よりも、止めることが、私の自由意思に基づくものだ

と書いておくべきでした。

 この記事を、私の反省点を中心にして書いてしまったため、

私のブログ記事の未熟さを指摘してくれた人が、私にブログ

を止めさせたように誤解されたのかもしれません。

 その人が、私にブログ記事を止めるように言われたことは、

まったくありません。私は衷心から、私の過ちを指摘してくれ

た人に感謝しているのです。


 私は、未熟な記事が、「知識」を実践する覚悟もないまま、

気軽に振り回すという指摘に震撼させられたのです。まるで、

私が敬愛するシモーヌ・ヴェイユが甦り、私を指導してくれた

ように思いました。

 「知識」は、とても大切なものです。「知識」を求める自分を

否定するつもりはありません。けれども、何のための「知識」

であるのか、よく考えなければならないのです。


 もし、私がブログ記事を止めたことに対してご意見のある方

は、私にメッセージをくださるか、この記事のコメント欄に書い

てください。私にとってシモーヌ・ヴェイユは、親しい友であり、

すべての尊敬する芸術家や思想家と同義なのです。


 耄碌と隣り合わせの年代になって、私には人間を個人として

捉えるよりも、思想や情感の欠片が集ったもののように思えて

きました。大切な一片は、何が何でも守りたいとの想いが強い

のです。


 どうか、私の気持ちを察してくださるよう、切にお願いします。


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2012.8.25追記

 

 諸事情により、コメント欄は閉じさせていただきました。深く、

お詫びいたします。