ひょっとすると私たちは、幸福を歓迎する以上に不幸を

懼れることの方が多いのかもしれません。その意味では、

私の仮説である、幸福の欠けた状態が不幸というのは、

少し実感から遠くなってしまいます。

 幸福が欠けた状態が不幸だとすると、確かに不幸には

実体がないことになります。ところが私たちは、善が欠け

たといわれる悪でも、悪魔に実体を感じるように、不幸で

も、その実体を感じてしまうように思います。


 それは、突然の病気や事故、自然災害を思い起こせば、

すぐにわかることです。それらのアクシデントは、人間に、

呪われた不幸を運ぶ魔物だと思われているのです。

 ただ私は、それらは幸福を奪うものであると、自分なり

解釈してます。つまり、不幸そのものの実体はない

のですが、不幸な出来事はあると思うのです。

 幸福に狎れていた人々は、失って初めて幸福に気づき

ます。けれども、喪失感は幸福を感謝していた人々にも、

まったく同じです。不幸な出来事は、それまでの生き方と

無関係に、すべての人々から幸福を奪ってしまうのです。




 それでも、不幸な出来事というものがあるのなら、その

出来事に襲われたときに、どのように対処すればいいの

かについて、あらかじめ考えておくことができます。

 物理的な対処は、想定外のことが起こったり、経済的な

理由があったりして、万全にすることは難しいと思います。

けれども、心理的な対処は、自分自身の心をコントロール

するだけで、不幸な出来事への覚悟ができるのです。


 もちろん、心のコントロールの方が難しいという人もいる

でしょう。実は私も、自分の心と真摯に対峙するのは得意

ではありません。感情の赴くまま、喜怒哀楽に身を任せる

ことの方が、自分に似合っていると思います。

 それでも、少しでも心がけておけば、ショックを和らげて

くれると思います。それは、私が阪神大震災や両親の死

に直面した時に、痛感したことなのです。