私の母は、2010年の年末慌しい時期に、不慮の事故が

基となって、87歳の人生を終えました。それが非業の死で

あったのかどうかは、運命論者でない私には、よくわからな

いことです。

 ただ、それが、予想もできなかった出来事であったことは、

の目にも明らかなことでした。しかも、そこには人為的な

不自然さもありました。もっとも、それは母の肉親としての、

私の感想でしかないのですが。

 母は、緊急入院した後、10日目に急死しました。入院時

には、意識もはっきりしており、それが命の問題になるとは

とても思えない状態でした。ですから、急に襲ってきた母の

死は、私には事件としてしか思えなかったのです。


 私は、すぐにこの事件を、ノンフィクションとしてまとめよう

と思いました。「私が訴えない理由(わけ)」という表題は、

すぐに思いつきました。ノンフィクションを対象とした公募も、

少なくありません。

 ところが、私には躊躇もありました。つまり、自分の母を

題材にすることが、母に対する冒涜にならないかということ

です。母の了解を得るのは、今では不可能なのです。

 しかも、母にも汚点があります。そのことを公にするのは、

どうしても私には抵抗感を拭えないのです。母の恥を晒す

ようなことは、息子として、やってはならないことのように、

私には思えてならないのです。


 そこで、私が逃げ込んだ先が、ノンフィクションの小説化

です。それなら、母の想いを確かめることができなくても、

私の想いで事件を扱うことができると思ったのです。

 こうして、ブログで言い訳のような記事を書くのも、私の

贖罪なのかもしれません。しばらく、私の母への想いを、

微妙な問題ではありますが、綴りたいと思うのです。