思い付きの記事なのに、実名を出すのは無責任の誹りを

免れないことはわかっています。それでも、敢えて話を曖昧

にしないのは、相手が、強い組織であり、問題の根が深い

ため、失礼にならない範囲で提起したいという想いからです。

 もちろん、事実は事実、憶測は憶測として峻別するつもり

です。勉強不足ですから、これは私の、単なる危機意識の

発露にしかなっていないこともわかっています。具体的には、

これから考えなければならないことだと思っています。


 危機意識のきっかけは、原子力発電の宣伝CMを見たこと

でした。そこから、私の頭の中には、昔の色々な広告が駆け

巡ったのです。白々しく流れていた電力会社の原発安全PR

や政党の意見広告、詐欺もどきの投資広告などなど。

 そこで、広告の規制に関して考えなければと思ったのです。

日本広告審査機構には、こうして私は辿り着きました。全然

聞いたことのない名前ではありません。けれども、これまで、

それほど注目したことはありませんでした。

[ご参考] 日本広告審査機構のホームページです。

http://www.jaro.or.jp/index.html


 「JAROは『悪い広告をなくし、正しいよい広告を育てたい』と

いう広告界の念願で、広告主や新聞社、出版社、放送会社、

広告会社それに広告制作会社など広告に関係する企業が自

ら集い、昭和49年10月に誕生した民間の広告自主規制機関

です。」というのが、日本広告審査機構の説明です。

 そして日本広告審査機構は「公平なスタンスで広告を審査」

していると自負しています。確かに、これにより、一部の誇大

広告は排除されています。その実績は認めねばなりません。


 ただ、私が危惧するのは、個々の審査の問題ではなく、この

経済界によくある構造のことです。してやられているというのが、

私の正直な感想です。この形は、問題が起こると、いつも指摘

される甘い身内の審査体制なのです。

 つまり、広告主、媒体、広告業者という広告業界の主人公が、

見事に結束を図っているのです。憶測ですが、ここに深く行政

も関わっていることが読み取れます。


 これでは、お金での、思想の押しつけや世論の醸成を防げは

しないのです。もちろん、電力会社のお金に群がるという、世の

悪癖を断ち切ることもできません。公正な広告は遠いのです。

 選挙にお金がかかるのも、政党の広告にお金がかかることと

無縁ではありません。諸悪の根源が広告にあるように見えるの

に、広告の倫理を考える組織が、このような形で出来上がって

しまっていることに、私は暗澹とした思いを持ってしまうのです。