私は、女性が社会進出することを歓迎する時流に、逆らう
つもりは毛頭ありません。むしろ、積極的にジェンダーを考え
なければ、歪な社会を正すことはできないと思っています。
また、昨今のモラルの低下を嘆いてはいますが、この記事
で、モラルについて論じようとは思っていません。地に堕ちた
モラルは、文化の深層に迫らなくては、とても正すことはでき
ないと思うのです。
ここで私が論じたいのは、もっと感覚的なことです。つまり、
ちょっとした余計な心配です。このようなことが気になるのは、
いわゆる老婆心であって、我ながら自分の重ねた年輪には
唖然としてしまうのですが、素直な気持ちなのです。
近頃、電車に乗っていると、バギーに幼子を乗せた、母親
らしき人を見かけます。退職してからは通勤時間に乗らない
ので余計目立つのかもしれませんが、出会う頻度は、確実
に増えています。
そして、私がバギーの中を覗いてみると、玉のような幼子
が眠っていることが多いのです。山上憶良が、老年になって
詠んだ「銀(しろかね)も、金(くがね)も玉も、何せむに、まされ
る宝、子にしかめやも」が、素直に想い出されるのです。
確かに、私の子供時代にも、よく、幼子を背負った母親を
見かけた記憶が残っています。当時は、生活のために動か
ざるを得ない女性が多かったのではないかと思っています。
そして私にも、母の背中の温もりが、幽かではありますが
記憶に残っています。その光景は、恐らく、私の魂の奥底に
ある、最も懐かしくて風化することのない、人とのつながりの
原点なのです。