地球から飛び出した人間は、宇宙の美しさに感嘆の声を

上げました。今では、季節外れの野菜であっても、いつでも

食べることができます。一人ひとりは何もできなくとも、現代

人は高度文明の恩恵に浴しています。

 このように、高度な文明に胡坐をかいている現代人には、

負の自然は、あまり意識することができません。けれども、

人間には厳しい大自然と格闘してきた長い歴史があります。


 地震や台風などの自然災害が襲うたびに、私たちは人間

の無力を感じます。ところが、それらはすぐに忘れられてしま

います。いつまでも嫌なことを思い出したくないという、一種

の自己防衛機能なのかもしれません。

 ところが、あの東日本大震災などのように、理不尽な自然

の魔手には、憤怒の矛先をどこに向ければいいのでしょう?

傍若無人な自然の気まぐれには、つい、大自然と闘ってきた

先人の偉大さに思いを馳せてしまいます。


 それにもかかわらず、大半の人間は大自然を愛しています。

一瞬一瞬は意識していなくても、ふとした拍子に、自分と自然

が一体になるような感覚に襲われます。

 朝焼けや夕映えの中に揺らめく魂。鮮やかな海の青と白の

輝き。深海に生きるエビの目。何度も失敗しながら、遂に立ち

上がった仔馬の勇姿。それらに心が向くのは、自分の中にも、

同じ波動が息づいているからです。

 それは、どれだけ自然に痛めつけられようとも、人間が自然

一員であること、その中でしか生きることができないことを、

自覚させてくれます。そこには、生きとし生けるものとの、仲間

としての共感があるのです。


 確かに、どれだけちっぽけであっても、人間も宇宙の一部で

あり、自然の一部です。一部にとって、全体は、憧れであり、

敬愛するものであり、信仰の対象にさえなるものです。

 私は、そこに愛の原形を感じます。愛情に溢れている人は、

宇宙や自然への愛に満ちている人であることを、私は信じて

疑わないのです。