職業柄、と言っても、私は一銭の稼ぎもない無職の人間

なのですが、人への関心は相当なものだと自覚しています。

ですから、電車の中で自分の正面に、ずらりと数人の人が

並んで座ると、どうしても性格判断をしてしまうのです。

 勝気な人、気弱な人、優しい人、怒りっぽい人。これらの

人々を、顔を見るだけで見抜こうとするのです。私は、50年

近くも、自分が描いてきた小説の登場人物の何百倍もの人

に、このような性格判断をしてきたのです。

 百戦錬磨を自負する私ですが、実のところ正答率はわか

りません。ただ私は、小説家としてちょっと「浄い過ぎ」かも

しれませんが、ほとんど外れていないと信じています。


 それぞれ顔は違っていても、怒った顔、笑った顔など、人

の表情は同じです。それは、さまざまな情感における顔の

筋肉の使い方が同じだからと思います。

 ですから、怒りっぽい人はよく怒るので、怒るための筋肉

が発達し、怒った表情が真顔の時にも浮かび上がってくる

のだと思うのです。それで、私は顔を見るだけの性格判断

に、意味があると信じているのです。


 ところが現実の生活では、顔から判断した性格が裏切ら

れるケースが結構あります。それらは、すべて例外として

扱うのですが、ひょっとすると、当たるよりも例外の方が、

ずっと多いのかもしれません。

 それでも、相変わらず私が、自分の性格判断は正しいと

思っているのは、単なる思い込みか、当たったときの喜び

が忘れられないからです。

 つまり、それは先入観と偏見の産物です。やはり、性格

判断は顔でするのではなく、その人との絆の中で、見抜く

べきことのようです。