考えてみれば、本当に不思議なことです。すべての人間

が二つの壁を超えなければならないことだけは、ルソーの

「人間不平等起源論」を俟つまでもなく、真正の真理です。

 それほど、人間と言うものは、生まれつき備わったもの、

両親によってもたらされるもの、後天的につけられる差など、

不平等の種に尽かないものです。


 その不平等をどこかで補うために、前世の因縁や黄泉の

世界を考える人もいます。けれども私には、そのような世界

は、どうしても虚構のものだとしか思えないのです。

 そうなると、この世での物質的・精神的な豊かさと貧しさ、

人生に対する満足度など、多くの不平等について、どのよう

に考えるべきかが重要になります。


 これも不思議なことなのですが、このような不平等に対して、

一般的には容認する傾向があります。誰も、不平等にすべき

と考える人はいないのですが、不平等はやむを得ないという

見方が多いように思うのです。

 確かに、不平等を是正することは、とても難しい問題です。

無理やり平等化しようとすると、努力することを否定すること

になり、悪平等になってしまいます。

 社会福祉なども、働かない人が働く人より優遇されるよう

なことが起こったりします。かといって、働けない人が措いて

おかれるような社会も、いかがなものかと思われます。正に、

社会の矛盾を解決することの難しさです。


 そこで、陳腐なことかもしれませんが、やはり人間が平等

に超えなければならない二つの壁こそが、この不平等感を

解消してくれる唯一のものだと思えるのです。

 二つの壁。つまり、無の世界からこの世に生まれる壁と、

この世から無の世界に旅立つ壁の二つです。これだけは、

間違いなく、すべての人間に平等なのです。


 64歳に近くなると、このようなことに関心が向くようです。