喜怒哀楽の感情は、外的な刺激に対する内的な反応だと
思います。ここで言う感情には、気分のような一時的なもの
も含まれます。感情と言っても、むしろ、まさに喜怒哀楽は、
一時的なものが多いように思います。
人間は、周囲から入ってきた情報を受け止め、それに何ら
かの個性的な判断を加えて、喜んだり怒ったり、哀しんだり
楽しんだりするものです。やはり、ほとんどが気分的なもの
であることに違いありません。
一人ひとりの喜怒哀楽は、この個性的な判断による反応
だと思います。ですから、同じ環境や出来事などであっても、
個人によって喜怒哀楽が違ってくるのは当然なのです。
それなら違いのすべては、個性的な判断にあるということ
になります。そうすると、この判断の価値基準こそが、喜怒
哀楽への道筋を決定的にするものだと思われるのです。
この価値基準は、実に多種多様なものです。私も、ケース
バイケースで異なる価値基準が適用されていることを自覚し
ています。自分の気分にムラがあることも、決して人格として、
矛盾や分裂しているわけではないのです。
このように、喜怒哀楽の価値基準は変化します。けれども、
一つだけ変わらないことがあります。それは、価値基準が、
自分の心のかたちに当て嵌めようとするところから来ること
です。そして、そのキーになるものは、「期待」です。
確かに、心のかたちは期待に集約されると思います。喜び
は、自分の期待が叶うことから生じます。怒りは期待が裏切
られることから生じます。哀しみは、期待が崩れることですし、
楽しみは期待が膨らんでいる段階です。
このように考えると、喜・楽を求め、怒・哀を避けるためには、
あまり大きな期待を抱かないことが大切だということがわかり
ます。そういえば、そのような名言がありました。
[老子]足るを知れば辱しめられず、止まるを知ればあやうからず
[論語]過ぎたるはなお及ばざるがごとし
[礼記]欲はほしいままにすべからず、志は満たしむべからず