経済というものは、本当に人間性を無視するものだと、
つくづく思います。そこにあるのは、人間を無視した神の
見えざる手と、エゴイズムの化身となった人間の思惑
ばかりです。
その象徴的なものが、サービスを含めた商品のPRに、
笑顔で出てくる人間の姿です。もちろん私は、その笑顔
に反感を持っていたわけではありません。特に、真摯に
語りかける姿には、好感さえ持っていました。
ところが、原発の安全神話を語っていた人々のことを
考えると、忸怩たる気持ちになってしまいます。そこで、
私は少し考え方を改めなければと思うようになりました。
最初は、原発PRのために安全を説いていた人を糾弾
したくなりました。けれども、よく考えてみれば、単なる
広告への出演にすぎないのです。
自分の考えとは別に、ギャラをもらって台本にあること
を語っているだけのことです。見ている方は、その事実
をわかった上で見るべきなのです。
個人ですから、スポンサー、広告代理店、芸能事務所
などから出演依頼があれば、喜んで応諾するしかありま
せん。余程のビッグタレントでもない限り、出演するCM
の選り好みはできないはずです。
それなら、自分が疑問を持つような商品であっても、
笑顔で薦めるしかないのです。それが、経済の論理に
違いありません。
それでも人間として、あれだけの悲惨な事故を起こす
ような原発を推奨したことの責任を、どのように考えて
いるのか気にならないでもありません。経済の仕組みと
は、魂まで売ってしまうものなのでしょうか?
そう考えると、経済に呑み込まれてしまった人たちを、
私は、憐れに思わずにはいられないのです。