私は、誰が何と言おうとも、ベートーヴェンを愛してい

ます。彼の作品である音楽を愛すると同時に、彼自身

の人生も愛しています。

 また同じ意味で、アリストテレスやダ・ヴィンチや宮澤

賢治を愛してもいます。彼らが成しえたことを愛すると

同時に、成そうとしたことをも愛してしまいます。


 これらの愛は、惜しみなく湧き上がってくるものです。

そして、まるで浮気性でもあるかのように、同時に大勢

の人を愛することができるものです。

 嘘のような話ですが、かすかな独占欲はあるのです。

それは、そっと自分の胸にだけ仕舞っておきたいという

気持ちのことです。けれども、それよりも、他人と共有・

共感したい想いが、遥かに強いのです。


 このように、直接話すことや、顔を見ることがなくなくて

も、同時代に生きることのできなかった相手を愛すること

が可能です。その人の足跡を仔細に知らなくても、その

人生の輪郭からだけでも、愛することはできるのです。

 むしろ、謎多き人に魅せられることさえあります。私が、

時代背景や年齢・性別を超えた人類が、一つの共感で

繋がることができると確信するのは、このような想いが

私の心に宿るからです。



 よく考えてみると、このような歴史上の人物に向けられ
る愛のかたちとは、実に不思議なものです。その愛には、

実体がありません。歴史上の人物とは、イメージでしか

ないのです。

 私が愛しているのは、私が観念上で創り上げた幻想

過ぎないものです。それでも、実体のある人物に勝る

とも劣らない大きな愛情が私の胸に宿っていると、現に

実感しています。


 人間が、永遠に繋がるものを愛するのは、自分が永遠

でないことを知っているからだと言う人がいます。そこには、

憧れから愛に至るプロセスがあるのだと思います。