幸徳秋水は、エミール・ゾラの訃報に接し、「ゾーラを哭す」

との文章を書き、その業績を称えた上で、「彼は独り仏国の

有たるにのみならず、実に世界の貴重なる所有物なりき。

今や万国の社会は、かようの人豪を要する、急にしてかつ

切なるものあり。しかも今や亡し、誰か第二のゾーラたる者

ぞ」(句読点等、一部原文を変更)と訴えています。


昔から途方もなく誇大妄想だった私は、この一文を読み、

すっかり、自分が、この望みを託された気分になったもので

した。そして、畏れることもなく、今でもその使命を背負った

つもりでいるのです。

 その想いはゾラに留まることはありません。ロマン・ロラン、

トルストイ、ダ・ヴィンチ、ベートーヴェン、そして夭折のルクー

など、すべての芸術家が、生涯望みながらも遣り残したこと

を、自分の芸術の使命として、深く胸に刻んでいるのです。



 この、途方もない私の望みは、これからの私に与えられる

あろう最長二十年の間には、到底埋め尽くせそうにありま

せん。そのことは、さすがに荒唐無稽なほど尊大な私でも、

今となれば認めざるを得なくなりました。

 そこで私が託す望みは、後世の芸術家に対して、これまで

芸術の歴史で抜け落ちているものを補完し、そこから新た

な歴史を刻んでほしいというものなのです。



 その意味では、私が思い込んだ万能の天才は、すべてが

託すべき望みとなってしまいました。今では、学問、芸術、

そして政治や経済に至るまで、もはや私は、人類の英知を

信じるしかないのです。

 自分の力では遥かに及ばなかったものの、私には、第二

アリストテレスやレオナルド・ダ・ヴィンチは、必ず生まれて

くると思っています。

何も、個人である必要はありません。それは、人類という

チームの中で、偏狭なエゴイズムの輪から外れて生まれて

くれればいいのです。そして、その才能が人類への奉仕の

精神に満ちていてくれることを祈るのです。