アウシュヴィッツに送られた人たちの中には、食料品店の

女性のように不用意な発言から、ゲシュタポの網にかかった

人が少なくありませんでした。まさに舌禍です。

 このようなナチスの言論統制に似たような話は、この日本

でも聞いたことがあります。大日本帝国では、とても厳しい

言論統制が行われました。独裁政治とは、このような暗部と

同居することなのです。


 そう言えば、私の母は、いろいろなことに署名することには

とても慎重でした。どうやら、その理由は戦時中の言論統制

や戦後のレッドパージにあったようなのです。

 現代に生きる若者には、このような経験はほとんどないの

ではないでしょうか?若者でなくても、私自身、言論統制は

歴史で知っているだけなのですから。




 言論統制は、為政者にとって都合のいいものです。本当は、

甘んじて批判を受け、非を改めるのが正しい政治の在り方だ

と思います。ところが、これは権威を奪うことにもなるのです。

 権威を守るためには、強弁するしかありません。ですから、

多くの時代、多くの為政者が、反対意見を封じ込めることに

魅力を感じたのです。非力でひ弱な為政者ほど、どうやら、

強権に頼ろうとするようです。




 これまで現代日本では、自由な言論が確保されてきました。

政治、自衛隊、天皇制、個性の尊重など、幸いにも好き勝手

言論が自由に交わされてきました。

 その中には、無責任に思えるような放言もありました。ただ、

それは私の感想であって、放言の評価も人によってまちまち

でした。これらを認めることが、言論の自由を守ったのです。


 ただ、私は次第に忍び寄る言論への圧迫を感じています。

昨今の風潮に、微妙な変化があるように思えるのです。心を

一つにするとの美名のもとに、民心を乱す雑言を許さないよう

な風潮が、確実に育ちつつあるように思えます。

 そのように考えると、私がこのブログに書いている記事も、

世が世なら憲兵に連れ去られるようなことになるかもしれま

せん。少なくとも、今すぐにそうはならない幸せを、じっくりと

噛みしめたいと思います。