「菊と刀」が見当たらなかったという怒りは、私を書店から

遠ざけてしまいました。それも大人げないことなのですが、

私の自然の感情なので、どうしようもありません。

 いくつもの翻訳がある著書なので、実は、私が見落として

いる可能性もなくはないのです。それでも、ほしいものが手

に入らない不満が、自分の心の中で怒りとなって爆発して

しまいました。

 自分の中に欺瞞がないかと考えても見ました。もし研究者

に徹するのなら、図書館で借りて読むこともできるはずです。

それを、自分の本棚においておかないと気が済まないのは、

単なる気休めに過ぎないのですから。


 この一か月余り、ずっと私はこのような気持ちでいたのです。

たいていのことには淡白な私なのですが、存外にこだわって

執着する面もあったのです。

 それが、つい先ほど、天を突いた怒髪が収まり、喜色満面

に変わりました。恐る恐る、件の書店に入ってみると、何と、

新書コーナーの講談社学術文庫の前に、「菊と刀」が平積み

されていたのです。もちろん私は早速購入しました。

 奥付を見ると、「2011.10.27第27刷」となっています。先月、

一冊も見なかったのは、出版社の都合ではなく、この書店

仕入れの問題だったのでしょう。


 この満足感と喜びは、たった一冊の本を、今自分の机の上

で眺めることができるからです。まだ、「菊と刀」を読んだわけ

でもないのに、これだけ喜ぶことができるというのも、考えて

みれば不思議なことです。

 注文したわけでもなく、書店に平積みされているという情報

を掴んで行ったのでもないのです。ただ私は、偶然がもたらす

喜びに浸っているだけなのです。

 これだけのことで感情が激しく揺れるのは、私が人間として

未熟だからです。けれども、私が知る限りでは、未熟でない人

はそれほど多くはないと思うのです。

 喜怒哀楽こそ人間が生きている証であるとは、未熟な人間

の負け惜しみにも聞こえますが、それも、この機会に検証して

みたいと思います。