今の私にとって一番大切なことは、自分の生き方を全うする

ことです。ずっと自分の生き方が揺らいできたにもかかわらず、

それを全うするというのは矛盾しているように見えます。でも、

それは私の中では解決されていることです。

 つまり私は、自分が向かっている目標には、どうやら到達が

難しいことを覚悟しています。それでも、前に進むことに、意味

があると信じているのです。むしろ、揺らぎながら生きることが、

魂の彷徨者としての私に相応しい生き方だと思っています。

そのような私にも、託す望みはあります。託さねばならない

のは、自分の大望が、身の丈に合っていないからです。もっと

はっきり言えば、分不相応な望みを抱いた者の悲劇です。



 生まれつき尊大な私は、自分の憧れを現実と混同する名人

でした。その最たるものが、自分を万能の天才と同一視する

という、はなはだ滑稽な勘違いです。

 アリストテレスとレオナルド・ダ・ヴィンチの次は自分だ、など

との想いは、恐らく小学生の低学年までのものではないかと

思うのですが、偉人伝が好きだった私は、学生時代を通じて

その想いを持ち続けていました。

 学校の成績では、前代未聞の劣等生でした。それにもかか

わらず、このような夢にしがみついていたのは、私が、いかに

現実を見ていないかということです。




 さすがに、ずっと前に還暦を済ませた現在の私は、このような

天才が、もう自分に備わっているとは思わなくなりました。今さら

私が自然科学の新発見をすることなどは、あり得ないことです

 このように、私の誇大妄想症は今やかなり回復しました。まだ

症状が改善していないのは、文学の才を信じていることだけです。

ただ、私の文学への想いは、不治の病なのです。