音楽や美術などを鑑賞するときに、予備知識がある方が

いいのか、先入観なしに鑑賞した方がいいのか、これには

好みもあり、意見が分かれるように思います。

 私は、どちらかと言うと、予断を持たずに鑑賞したいと思う

方です。それでも、博識な人から教えられたり、書物などで

知識があれば、芸術を理解しやすいことも事実です。


 結局は、あまり物事を深刻に考えない私のことですから、

どちらの鑑賞方法でも、別に問題ないと思ってしまいます。

これは、私が人生への目標を持ちながらも、場当たり的な

生き方しかできないことと関係があるのかもしれません。

 ただ、芸術鑑賞をする場合は、作品の奥に潜む芸術家の

悩みや苦しみは芸術作品とは別だと思います。あくまでも

作品だけを感動の素になるのです。

 とはいえ、それらが作品と深いかかわりがあることを否定

はできません。芸術作品を研究するには、このような情報

を見過ごすことはできません。


 考えてみると、芸術鑑賞だけではなく日常生活の中でも、

私が見過ごしていることは少なくありません。まったく同じ

風景を見ているはずなのですが、捉える意味は千差万別、

「見れども見えず」なのです。

 これは、視覚に限った話ではありません。五感に関わる

ことはもちろん、政治や経済などの状況を判断することに

おいても、私は、このような誤解や錯覚から逃れることが

できないでいるのです。


 囲碁などでも、同じ盤上に置かれた碁石を眺めていても、

プロとアマとでは、まるで理解していることが違っています。

ここにも、見過ごしてしまう現象が、顕著に現れるのです。

 プロとアマの差は、訓練と経験と知識です。そう考えると、

私は、人生において大切なことを見過ごすことのないように

するためには、訓練と経験と知識を得る努力が不可欠だと

思うのです。