政治家というものは、実に大したものです。気の弱い私

などには、とても考えられないようなことを、平然と進める

ことができるのですから。

 実際、衆人環視の中で、まだまだ、どのように展開する

のか予測のつかない福島原発事故に「終息宣言」を出し、

急造の安全基準に基づいて大飯原発の「安全基準におお

むね適合」とまで言ってのけました。

 科学者の意見も聞くこともなく、野田佳彦首相と藤村修

官房長官、枝野幸男経産大臣、細野豪志原発事故担当

大臣の4人だけで、強引に原発再稼働への道筋をつけて

いるのです。これでは、開いた口が塞がりません。



 その背後に、政治家を操る経済界の重篤なエゴイズム

があることは明らかです。姿を現すことは稀でありながら、

しっかりと大臣たちの舵を取っています。

 戦争、公害、事故。いつも、真犯人は経済を牛耳る金の

亡者たちでした。結果に対する責任が取れもしないのに、

営利に暴走する経済人の罪は軽くありません。



 ただ、ここで私が糾弾したいのは、操られている政治家

です。なぜなら政治家は、自ら戦略的に操られているから

です。政治と経済が結びつくことにより、国民を不幸にする

歴史は、政治経済史そのものだと思うのです。

 政治家の野心とは、権力に対するものです。そのために

政治家は権力を手に入れようとして、金、威厳、人望など

を演出するのです。その弊害は、すべての失政のツケが

国民に還ってくることです。




 結局は、そのような政治家を選んだ国民の責任となって
しまいます。その国民に害が及ぶのなら、自業自得だとの

見方をする人さえいます。

けれども現実には、同じような政治家の中からでないと、

選ぶことができない仕組みなのです。実は、選挙制度という

ものは、選びようがないことになるのです。

それが、民主主義の限界なのかもしれません。立派な人

に政治を託そうと思うのなら、この巧妙な仕組みから、考え

直さなければならないように思ってしまいます。