私は、世間がジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名前を長い間

知らなかった以上に、その名前を聞いたことがありません

でした。ただ、どこかでこの名前を聞いたときに、何となく、

魅力的な響きの名前だと思ったことはありました。

 それが、つい先日運命的に、書店の本棚でその名前を

見つけたのです。それは、創元社の「知の再発見」双書の

中で、美術シリーズの一冊として並んでいました。



 ラ・トゥールよりも13歳年少のレンブラントは、「光と闇の

魔術師」として世間で認められています。けれども、作品を

見ると、長い間、埋もれていたラ・トゥールに同じ称号を贈る

ことを、だれも否定はできないと思います。

 それが如実に示されているのが、この4枚のマグダラの

マリアを描いた絵です。この罪深き女性を、ロウソクの光が

優しく包み込んでいるのです。


 マグダラのマリアは、言うまでもなく、キリスト教(カトリック)

における象徴的な人物です。彼女のエピソードは、悔悛する

ことによって罪は許されるとの教訓だと聞いたことがあります。

[ご参考①] マグダラのマリアのwikipedia です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2




 さて、四枚の絵を並べてみると、私はこれが連作であるよう

に思えてなりません。つまり、[ご参考②③④⑤]の順番に、

マリアの精神的な成長が描かれているように見えるのです。



[ご参考②] 「ゆれる炎のあるマグダラのマリア」ロサンゼルス郡立美術館

http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/auc-eurasia/cabinet/00724992/img55636082.jpg?_ex=700x700&s=0&r=1

ヴァニタス(虚栄)の象徴とされる髑髏を膝に置き、自虐的に鞭を眺めています。

肩や素足は、俗世への未練を示していると思います。



[ご参考③] 「灯火のあるマグダラのマリア」ルーブル美術館

http://material.miyazaki-c.ed.jp/ipa/internet_artmuseum/barokku/turu/h-lto1.jpg

あまり②と変わりませんが、光の輝きに落ち着きが出てきています。


[ご参考④] 「ふたつの炎のあるマグダラのマリア」メトロポリタン美術館

http://8c.img.v4.skyrock.net/8c0/meropee/pics/2406457975_15.jpg

肩と素足は隠されました。ただ、まだイエスの光を象徴する蝋燭を求めています。



[ご参考⑤] 「鏡の前のマグダラのマリア」ワシントンナショナルギャラリー

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/016/504/89/N000/000/000/123064495548116114119.jpg

腕の露出も少なく、蝋燭の炎は、ほとんど描かれていません。髑髏も影になっています。

もう、救いを求める必要がなくなったのです。



[ご参考⑥] ヴァニタスのwikipedia です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%82%B9