人間が妬ましい思いに捉えられるには、それなりの原因

あります。それは、単純なことではありません。他人に

妬みの心を持つに至るには、少なくとも二つの段階がある

ように思います。

 まず、他人と自分との差を自覚しなければなりません。

その次に、差を自覚したことが、自分にとってのマイナス

イメージにつながる必要があります。


 一旦、自分の中にマイナスイメージが育まれると、今度は

ずっと心を不安定にすることになります。人間は、不安定な

場に長居することができません。それは、物理的ことでも

精神的なことでも同じです。

 そこで、人間は何とかして、そのマイナスイメージを是正

したいと思うようになります。それに自覚した差を埋める

しかありません。

 もちろん、事実から目を逸らすこともできます。また見ない

ようすることもできます。けれども、それらは一時しのぎで

あり、大きなストレスを伴うものです。やはり差を埋めること

が、問題の決定的な解決になるのです。


 他人と自分の差を埋める手段としては、主に二つの方法

考えられます。つまり、自分が成長するのか相手を引き

摺り下ろすかの二つです。

どう考えても前者の方が、目標が単純であり楽だと思う

のですが、人は後者に魅力を感じることが多いようです。

他人の足を引っ張ることには、差を埋める以外の愉しさが

潜んでいるに違いありません。


 ですから劣等感だけなら、まだ妬みにはならないのかも

しれません。ところが、ほとんどの人には公平感を求める

心があります。劣等感は、この公平感を刺激するのです。

 刺激された公平感は、劣等感とのバランスを取ろうとし

て、やはり、他人との差を埋める手段を選ぶことになるの

です。ここでも、相手を引き摺り下ろすことの愉しさが待ち

構えています。

 その愉しさは、どうやら人間に公平感とは全く別の感情

からくるように思います。妬みの心は、人間がその魅惑

虜になってしまうところから生まれるような気がします。

 人を引き摺り下ろすことの愉しみこそ、妬みの大きな源

に違いありません。ただ、これに加えて、もう一つ大きな源

があります。それは次回に詳しく述べます。