岩波ホールの元支配人で、文化功労者にもなった方のことでは
ありません。一定の年齢以上の方には、とても懐かしい名前だと
思います。青春、学生運動、失恋、自殺などが、連想される名前
でもあります。
彼女の日記を出版した「二十歳の原点」は、ベストセラーになり
ました。1971年のことです。普通の女学生が書いた日記ですが、
自殺に至るまでの心の揺らぎが吐露されていることから、当時、
話題の本になりました。
二十歳の誕生日から自殺に至るまで、半年の日記です。真摯に
自分を見詰める態度に、多くの読者が共感しました。そのため、
中学二年生の誕生日からの「二十歳の原点ノート」、「二十歳の
原点序章」も姉妹編として順次出版され、三部作となりました。
お父さんが日記を纏めて出版されたようです。内面の悩みを衆目
に晒すことに対して、結構批判もありました。ジャーナリズム迎合
とか、「プライバシーを冒瀆」などとの指摘もあったようです。
けれども、お父さんにとっては、この三部作が愛する娘の真剣に
生きた証でした。それは、「故人を偲ぶ」ものであり、生きた「しるし」
を残してやりたいと言う親心の証でもあったのです。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点で
ある」。彼女は理想と現実のギャップに悩み、葛藤や挫折の理由
を発見していたにもかかわらず、克服できませんでした。
1949.1.2 に生まれた高野さんは、私と同じ学年でした。生まれ
た場所も、通った大学も違います。私が二浪したため、学年も2年
違います。それでも、彼女の自殺は何か他人事には思えません
でした。痛ましさと悔しさが、自然に込み上げてきたものです。
厚労省の「平成22年年度自殺対策白書」によると、現代日本は、
毎年三万人の自殺者がいます。うつ病、健康問題、生活苦などが
原因のようですが、大学生の自殺も少なくないとのことです。
それで、ふと高野さんのお名前が想い出されたのです。