私は、どちらかというと反原発の立場でしたが、このたび
考え方を改めることにしました。反原発は、私がアンチ巨人
であることと同じように、少し屈折した考え方だと思うように
なったからです。
19世紀初頭にイギリスで起こったラダイド運動は、産業
革命によって普及した機械を打ち壊すことによって、労働者
の生活を守ろうとしたものです。けれども、科学技術の流れ
を止めることはできませんでした。反原発も、同じようなもの
として見られかねません。
誤解のないように、はっきりと言明しておきますが、私は
転向しましたが、原発推進に転向したのではありません。
次のように考えることにしたのです。
原発は安全であればいいのです。装置やシステムが必ず
故障し、機械操作が必ず間違うことを前提として、それでも
100%安全が保てる(フェールセーフ)のであれば。
ところが、現実の原発はそうではありませんでした。高い
知見と技術を誇る日本で、しかも最高レベルの東電で、
原発がまったく制御できないことがわかったのです。
制御できないものは、どれだけ優れたものであっても
使ってはなりません。高速のジェット機を幼稚園児に操縦
させることができるでしょうか?
こうして私は、反原発は撤回しますが、稼働中の原発は
すみやかに停めるべきだと思っています。