この時代の「気合と根性」とは何か? | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

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差し歯を忘れてきたので、そのお陰で、お仕事先でこんな遊びができて

楽しいです(笑)。もうなんでもありですね(笑)。

本文とは全く関係ないですけど(苦笑)。



気合と根性だけでは現代の経営は成り立たない、とよく言われています。

確かにそうで、気合と根性、あとは崇高な理念を作って、「走れ~!」と

劇を飛ばせば適正な売上・利益が出る時代ではありません。


しかし、そう言っている人は、よく聞いていると、二分されます。


「もう気合と根性なんていらない。」と言っている人と、

「気合と根性だけでは勝てない。」と
言っている人です。


私は、仕事をしていく上で、気合と根性は、社会に立つ上での前提だと思って

います。それすらないのであれば、そもそも立つ資格はありません。

そんなもんは学生のうちに何たるかは経験して自分のものにしておけよ、と

そういう風にみていますから、よって後者です。


前者か後者かは、変化や新たな施策をこうじる時によく分かります。


例えば、業績が落ちてきて今まで正しいと思っていた方法が、まったく通用

しなくなったと気づいたとしましょう。

そんな時、

「私は今まで気合いと根性だけでやってきた・・・。だからちゃんと勉強し

てこなかったのが本当に悔やまれる。」

と嘆く経営者がいます。


それに対して私が、

「逆に言えば、気合と根性だけはあるのだから、勉強すれば何とかなるとい

うことじゃないですか?勉強や知識だけなら、それは後からでも手に入ります。

今からでもやりましょう。」

と言ったとします。


その上で、施策を考えて、頭の中では「なるほど!よしこれで行こう!」と、

なったとします。


ところが理屈の上では納得・理解していても、なんだかんだと理由をつけて

やらない場合があります。


変化というのは、今現在の仕事をすっぱり辞めて、すぐに変われるか?と

いえば、それは理想であるかもしれないけど、現実にはなかなかそうもいかなくて、

今の仕事に新たな負荷をかけながら、月日をかけていくうちに、徐々に、

今のやり方と新たなやり方の割合が変わっていくパターンの方が多いように思

います。


ただでさえ忙しいのに、さらに負荷をかけて実験することが要求されるわけ

ですね。


だから、なかなかできません。なかなかできないところに、やるかやらないか

だけの問題だったりします。



何らかの障害や壁があって、やらなかったとした場合、やらなかったこの人

は、気合と根性はあるのでしょうか?ないのでしょうか?


私は事情を察することはあっても、気合と根性はないと思っています。

この人が自覚していたのは、「気合と根性」ではなく、「反省」です(苦笑)。



新しい何かをするということは、今まであった何かを捨てるということです。

変化とは、今持っている何かを捨てるということと同義です。


それが、その人の持っている価値基準や美学や意地とかプライドといった

内省的なものか、

家族との時間とか、自分のプライベートの楽しみという物理的なことなのか、

人それぞれでしょうが、持っているうちの、何を手放すのかを先に決めるのが

前提です。


それをした上で、さらに新たな挑戦をしていこうというのですから、これを

やるには相当の「覚悟」とか「気合と根性」という、目に見えない、あるのか

ないのかよく分からないものが必要になってくるのだと思うのです。


あるのかないのかよく分からないのですから、実際に行動するという目に

見える形で証明するしかありません。


これが私の定義する今の時代の「気合と根性」の正体なのではないか?と

思っています。


「変わる」とか「他人よりも量をこなす」ということを目に見えるようにする

ということです。



この時代、「変化が大事だ。」「進化が大事だ。」というのは、もう誰もが

知っています。

知ってはいるけど、なかなかできません。


なんでできないのか?を考えてみると、様々なリスクがあって、でも

行き着くところ、最後は「他人の目」や「他人からの評価」のような気がします。

まぁ、それはまた別で書くとして(苦笑)、



「気合と根性だけでは無理だ。」と言ってはいるけど、実績を上げている人

を見ていると、勉強した色んなことを実際に人よりも余分に時間を使って

いくつもやってみて、やっていくうちに、また新たな課題が見つかって、

それを解決したり修正したりしながら、とにかく手数を増やしています。

打つ手や、一つあたりの量そのものが圧倒的に多いのです。


私から見たら、恐ろしく気合と根性がある人だなぁと思えるのはこういう人

だったりします。

「すっげー、スゴイですね。なんでそんなことできるんですか?」

と聞いても、そういう人は、そんなの当たり前で普通じゃん、という程度で

ケロリとしています。


私から見たら、本人が自覚しているかどうか別として、気合と根性がすでに

備わっているのだと思えてしまうのです。



何をどこまでやったら、どの程度の成果が上がるのか?というのは、実際に

成果を出した人にしかそのハードルは分かりません。


大学時代、学生プロレスをやっていて、その関係で早稲田大学の友人が

何人もいました。


私はそいつらも同じようにバカをやっていたので、失礼ながら、そんなに頭

がいいようには思えなくて(笑)、不思議に思って、

「早稲田に入れるなんて、どうやって勉強したの?」とよく聞いたりしてい

ました。多くは、

「いや、実はあんまり勉強はしてないんだよなぁ。運が良かっただけ

なんじゃねーか?あはは。」

みたいな拍子抜けするような返事でした。


私は、そうか、きっと、勉強の仕方の要領が良かったんだろうな、自分と

あわまり変わらないんだな、と思っていました。

ある日、その中でも特に仲の良かった奴が言ったことが記憶に残っています。

「坪井、みんなあぁ言ってるけどな、俺もやったから分かるんだけど、ホントは

みんな寝ずに勉強したんだと思うぜ。俺だって2年間は睡眠時間なんて2時間

程度だったんだからさ。でも、言わないんだよ。自分はとんでもなく努力した

なんて言わないだけなんだよ。」

それを聞いて、あぁ、これが、その人の持っているハードル基準なんだな、と

思ったことがあります。


口で何を言ってるかの問題ではなく、実際にやって成果を上げた者のみ知って

いる、何を全力でやったから実際にどんな成果が手に入るのか、という

世の中のハードルの基準です。


勉強のやり方は私も教えてもらったような気がしますが、私はただやらなかった。

じゃあ、やればできたか?と言うと、「俺だってやればできる」と言い訳は

できるけど、実際にやらなかったのだから、それが唯一の現実てあって、

「やれば」なんてそもそもないから、そもそもやらない人なのです(苦笑)。


もう一度、受験をする機会があったとして、「なんだ量をこなせばいいのか?」と

分かっていたとして、じゃあやるのか?といったら、やっぱりやらない

でしょう。勉強に関してはやっぱりやらない。


「量をこなす」というのは能力が必要かどうかより、「意欲」とか「気合と根性」

の問題だと思うのですね。



経営も同じだと思うのです。

やり方は比較的簡単に手に入ります。本を読んだり、セミナーや勉強会に出れば、

誰もが平等に情報は手に入ります。


そこから、たった一つの行動の連続をするかしないかで差がつくというのも

もう誰もが知っています。


でも、やる・やらない、の差があってそれが唯一の結果を出す要因だとなる

のなら、私は前提となる「気合と根性」だけの問題のような気がしています。


実は多くの人に足らないのは、「気合と根性だけでは無理」と言われて

妙に安心してしまう「気合と根性」そのものではないか?と思うのです。


情報が入りやすくなった今の時代だからこそ、私はもう一度「気合と根性」

というわけの分からないものを見直してみようと思うのです。




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