自分の思い通りは、他人からは滑稽 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

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自分らしく、自分の思い通りに生きられたらどんなに素敵だろう、と誰もが

願っていると私は思っています。


でも、実際に、その人らしく思い通りにやりたいように生きている人を見ると、

私は羨ましいと思う反面、「あんな風にはなれないなぁ・・・。」と、

ある種の滑稽さも感じたりもします。


自分の価値観に基づいて、やりたいようにやっている人は滑稽なのです。

価値観というのは、煎じ詰めれば「好き・嫌い」ですから、個人の基準に

のっとって好き勝手やればやる程、はたから見たら滑稽です。


まぁ、裸の王様という例えになるのでしょうが、個人であれ、大組織の

トップであれ、好きなようにやっている様というのは、多かれ少なかれ、

他人から見たら滑稽に映るというのはいたしかたないのだと思うのです。


と、いうことは、仮に私が私のやりたいように、やりたいことを実現すれば

するほど、他人からみたら滑稽に映るということです。


それは、やりたいように自由にやりたい人は知っておく必要があると思います。


人は誰もが他人から認められたいという欲求も持ち合わせていますから、

自分の価値観に基づいて、やりたいようにやればやるほど、認められないと

いうリスクは付きまとうことを、先に自覚しておかないと、せっかく手に入

れた何かなのに、自己承認ができなくなってしまいます。


なんでこんなこと考えるかというと、例えば、

1店舗の経営をしていて、それがその人の思い通りだとしても、ある時、

100店舗の経営をしている人から「そんなのは経営じゃない。」と言われた時、

言う方も言う方で変だとは思うけど、聞いた方がムキになって噛み付いた

り、怒ったり、そういう場面に出くわすと、面倒くせぇなぁと思う場面があ

ったりするからです(笑)。


よくありませんか?こういう場面(苦笑。


他人から、自分の何をどう認められたいのか、という基準も人それぞれです。

誰もが、認められたいところで認められれば気持ちいいし、認められていな

ければ憤慨するという、人というのはそうもんなんじゃないか、と思うのです。


だったら、どんな人に対しても、取り敢えず認めるとこを見つけにいった方

がスムーズなのに、まぁ、何らかの欠乏感がやらかしてしまうんでしょうね(笑)。



他人から認められることに生き甲斐を感じる人は、他人の基準に合わせた

生き方をすることを前提に、自分らしさを探せば良いでしょうし、


自分らしく生きることで喜びを感じる人ならば、他人からの評価は、結果と

してあればとても嬉しい程度で、なくて当然の認識で良いと思うのです。


どういう自分が自分なのか、自覚しておく方が、建設的な人生が進めると思

っています。


ちなみに、私は、私のことを滑稽に思う人がいても憤慨しませんけど、

わざわざ言ってくれなくてもいいですからね(笑)。



私は滑稽でいいです(笑)。
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