先日、東京は八王子に30年ぶりに寄った際、どうしても探したいお店が
ありました。
大学1年生当時、初めてアルバイトでお世話になった「東京シューズ」さんと
いう靴の小売店さんです。
八王子を中心に多摩地区では多店舗展開している靴屋さんでした。
当時は、支店の一つ「ブル」というお店で、コンバースのジャックパーセル
というモデルをいち早く販売してファッション雑誌でも紹介されているよう
な靴屋さんでした。
私は、若者をターゲットにして、レッド・ウィングのブーツやスニーカーを
展開していた、その「ブル」というお店が気に入っていて、ある日、店頭で
アルバイト募集の貼紙を見て、その場で応募することにしました。
当時から、同じ仕事をするなら、好きなモノに携わったり、囲まれていたい
という価値観だったようで、友人達は時給や条件を優先していたのを考えると、
当時から仕事観というのは、変わっていなかったのだなぁと思います(笑)。
ただ、募集していたのは、八王子の駅ビルのお店だったようで(笑)、本社
に面接に行ったら、そちらへ行ってくれと言われました(笑)。
そこの「東京シューズ駅ビル店」は、良く言えば、こ綺麗な商業施設によくある
入りやすい靴屋さんで、悪く言えば何の特徴もない幅広い層を対象にした
店舗でした。
品揃えの広さは、レディースが7割で、メンズが3割といった感じで、
正直、私が好むような店舗ではありませんでしたが、まぁ、メンズも、コンバースも
扱っているし、たまたま面接してくれた社長さんが、とても優しく感じ良く
対応して下さったので、「ま、いっか。」という軽い気持ちでお世話にな
ることにしました(笑)。
私は、そこで人生初のアルバイト、初めての社会との関わりを経験させて
もらい、大学3年になって都内の北区・赤羽に引っ越すまでお世話になっ
た会社です。
ここの店長さんは、小俣さんといって、優しく、楽しく、時にこっぴどく
可愛がって頂きました。
背が高く、スレンダーな身体つきで、いつもテキパキと、にこやかに動く姿が
特徴的で、女性にも男性にも気持ちの良い対応をされる、そして一日当たりの
売上予算や数値には厳しい、いま思えば、小売接客業の鏡のような方でした。
「駅ビル店」は、駅ビルらしく平日の夕方からや、土日などはとても人通り
が多く、とても忙しいお店でした。毎日疲れて帰って、仕事っていうのは、
こんなに大変で、自分の接客で売れるというのはこんなに嬉しいものなのか、
と分かってきました。
時給いくらだったか忘れたけれど、こんなに働いても月に貰える給料はこれ
くらいなのか、と毎月当たり前のように仕送りしてくれていた親への感謝も
知りました。
私はそこそこ活躍して、社員に並んで個人売上ランキングに登録されるくら
いにはなっていて、ちょっとは有名なアルバイトになっていました。
仕事にも慣れてきたある日、まだ社会を知らず、調子に乗って仕事をなめ切
ったようなことをしでかしたことがありました。
目に余ったのか店長は、「やる気がないなら、もう来なくていい。やる気の
ないような奴はウチにはいらない。帰れ!」と叱られて、ホントに帰された
こともありました。
なんだか悲しい気持ちばかりになって帰ったものの、日野の下宿に帰ってか
ら、とんでもないことをしでかしたと後になって気づいた私は、反省して、
(クビにされても、最後に、ちゃんと謝るだけは謝ろう。)と思って、翌日
の朝一で、学校の授業に行く前に、店のオープンを待って謝りに行きました。
バツの悪そうな私の顔を見た店長は、私がもう来ないと思っていたらしく、
「あれ?」と驚いたような表情をして、すぐに「そうか、分かった。また
今日から頑張れよ。学校はいいのか?いいんだったら、すぐにこれやれ。」
と仕事を言い渡しました。
店長は自分の仕事をしながら、「坪井が来たじゃねーか・・・。ツーボイ
が、来たじゃねーか・・・。」と嬉しそうな笑顔で、一人言を連発していました。
その姿が、私も何だかとても嬉しかったのを鮮明に覚えています。
あれは、私の中の「店長らしさ」というものの象徴的な場面として残ってい
ます。
そんな思い出のある店舗てあり、店長でした。
八王子の街は、駅ビルも随分と変わっていて、当時あった場所には店舗は
なくなっていました。
下の画像のショーウィンドウには、当時はレディースの靴がたくさん並んで
いたのです。
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今は、店舗がどこでどうなっているのかも分からなくて、スマホで調べたら、
八王子には一件だけになっていました。
Googleマップを頼りに、駅から数分歩いた場所、住所通りに靴屋さんはある
にはあったのですが、屋号は違っていて、「?」でした。
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「この住所で靴屋は、ここしかないよなぁ。」とおもいながら、何気に店内
を覗いてみて、一瞬目を疑いました。
2人のおばはんを同時に接客していた姿は、あの時のあのままの小俣店長その
ものでした。
遠目に見てもすぐ分かる、靴屋の鏡のような片膝をついた接客や、サッと別
の靴を取りに行く仕草や、手に靴を取って相手に説明する姿は、まさしく
あの店長の姿です。
そうか・・・、あれからの30年、ずっとずっとここでこのお仕事を続けて
みえたのか・・・・。
懐かしさとも、自分の30年の感慨深さとも、何とも言えない気持ちに
しばし包まれながら、私のことなど憶えているかどうか分からないけれど、
ご挨拶だけはさせてもらおうと、店が空くまで、待つことにしました。
やっと手が空いてそうな時を見計らって、店長めがけて店舗に入りました。
レディース専門の店に、私のようなのが入っていっとものだから、一瞬、
業者かなにかと思ったようでしたが、
「あの・・・、小俣さんでいらっしゃいますよね?突然すいません。実は
30年ほど前に、駅ビル店でアルバイトでお世話になっていたツボ・・・。」
「おぉ、誰かと思ったら、坪井じゃね~かぁ!ツーボイじゃね~かぁ。」
握手をしてくれる店長は私を憶えてくれていました。
「どぉしたの?今、何やってるの?今日は何で来たの?」
と当時と変わらぬ口調で聞いてくる小俣店長に、あれから、ここまでの経緯
をザッと説明させてもらいました。
「ひょえ~、随分立派ななられて~、スゴイなぁ。」なんて、所々に丁寧語
と謙譲語を織り交ぜながら、でもやっぱり、私のことは、ちゃんと「坪井」
と言ってくれることに嬉しさを感じるのでした。
少ない時間でしたが、当時の社長さんが亡くなられたこと、息子社長はじめ
皆さんお元気なこと、そして、
「俺なんて、あれからまだここでずっと店長やってるよぉ。
え?だって坪井ってもういくつになったんだ?俺なんてもう62歳だよぉ。
年とったよぉ。」
と、ご自身のこと・・・、お聞きできました。
ずっと靴屋さんの店長一筋、近くで見たら少しだけ年をとられたと思うものの、
やっぱりあの時の、イキイキとした店長のままでおられることに、私は素直
に尊敬の念を抱くのでした。
是非一緒に撮らせて下さい、とお願いしたのがこの画像です。
この方が小俣店長です。
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あの頃と変わらぬ若々しさには、正直驚きました(笑)。
あれから30年、あっと言う間だろうと長かろうと、同じ30年・・・、
私のように落ち着きなく取り留めない月日を送る者もいれば、
小俣店長のように地に足をつけてずっと一つのことを磨き続ける30年もある。
それは、どっちがどうとかではないとは思うけど、私は小俣店長から初めて
社会に触れさせてもらい、商売の最初を教えて頂けたことを本当に感謝し、
そして当時の一介のアルバイトだった私を、憶えてくれていることを嬉しく
思っていることは確かです。
この30年の間に、一体どれだけの人のお世話になり、どれだけの人との
出会いがあって、自分は果たして小俣店長のように、どれだけ人の心に残る
だけの関わり合いをしてきたのだろう、これからどんな心持ちで人と関わ
っていかべきなのだろう、ちゃんと考えなきゃいかんと思っている、その後です。
どんな30年であれ、私も出会った人のことをちゃんと憶えいて、再会した
時には、小俣店長のように笑顔で真正面から迎えられる人でいられたら、
どんなに素敵かと。
どんなに久しぶりでも、一目見ただけで、どれだけちゃんと生きてきたかの
月日が相手に伝わる人でいられたら、どんなに素晴らしいかと。
店を出る間際、「あっ、そうだ、坪井にこれやるよ!」と、あの時のように
店内奥まで軽やかに走って、持ってきてくれたのは、「これ、今、お客さん
にも渡してる、良く効く『福の飴』だからよ、坪井の次の事業がうまく行く
ようにな・・・。」と、手に一杯の飴でした。
言葉にならぬ感情を覚えながら、店を出る私の後ろから聞こえてきたのは、
「そっか、坪井が来てくれたじゃねーか・・・、ツーボイが、わざわざ来て
くれたじゃないか・・・・。」
あの時と同じ店長の独り言でした。
あれからの30年、それぞれの30年。どう生きてきたが問われている。
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