フィギュアをお遊びで造る理由は様々ですが、個人的には、絵を描くにせよ、粘土を
こねくり回すにせよ、まるでゼロで何もないモノから、目に見える形を造りだしていく
という一連の行為は、本質的には経営と同じなのではないか?と思っています。
頭の中で何となく描いている「何か」を、ラフから始まって、少しづつ少しづつ理想の
形にしていって、色んな角度や視点から判断して、ディティールの細かいところまで
造り込んで、何度も修正を加えながら、これで一旦の完成だと納得できるところまで
いったときには、誰から見ても、「それ」は「それ」である、という分かりやすい状態にして
表現する、という意味では、私から言わせれば、粘土細工も経営も、本質的な思考と
しては全く同じなのです。
造っていく過程でいつも思うのは、粘土においても、携わる仕事においても
最低限の「技術」は必要であるし、「技術」はプロならば一生磨き続けなければ
ならないのだろうな、ということです。
私なんて「技術」がちゃんとないから、粘土細工はずっと好きでやり続けているものの、
プロとしては成立していませんね(苦笑)。
せいぜい、素人よりはちょっと上手・得意というレベルだと思っています。
(実際に「売る」という行動を一度も起こしていないから、まだ分かりませんが・・・・(笑))
社会に出た新人の皆さんが、「今年の目標は一人でも〇〇がまずできるようになることです。」
と言ったりしますが、私はそれは当たっていると思います。
〇〇の中は、例えば、
美容師さんであれば、人様の髪の毛を切れるようになることだったり、
リサイクルショップであれば、買取が一人でできるようなことだったり、
印刷会社であれば、見積もりが一人でできるようになったり、
傘屋さんであれば、手元を接着剤をつけて付ける行為であったり、
そういうことです。
携わっている仕事において最低限必要なスキルというのは、どのお仕事でも必ずあって、
それがある一定の基準、それぞれの職種において利益が出始める分岐点以上の量を
こなせるまでは、昼夜を問わず練習し続けることが大前提でしょう。
例えば、その基準が1時間に100という単位だったとします。
そこまでは、何があろうと、プロとしてお金を頂いている以上、最低限やるべきです。
問題は、それが十分にできるようになった後に、どうするか?
何故、技術は磨き続けなければならないのか?
ということです。
この疑問はずっと残っていましたが、ある方の話を聞いて以来、私は納得し続けています。
ここからが分かれ道で、二つの考えがあります。
①1時間に200という単位まで生産できるようにして、さらに、それができたら
400という単位までできるようにする。
②1時間に100という単位を、30分に100という単位までできるように磨いて、
余った30分は相手のことをしっかり考えられる時間にして新たなサービスに繋げられる
ようにする。
の二つです。
似いてるようで全く違います。
①はどちらかと言えば「量」であり、②はどちらかと言うと「質」なのでしょう。
企業規模や、目指すところにもよるでしょうから、これはもう「正しい」「間違い」というより、
「好き」「嫌い」の世界であり、標榜するビジネス観の違いになるでしょうね。
個人的な見解としては、私は②の為に「技術」を磨くべきだと思っています。
①は、短絡的に考えれば、最後は機械に負けるでしょうし、同じ生産性ならコストの安い方へと
流れます。
傘の手元をつける技術スピードが、人ができる生産数の限界まで行ったとき、中国生産の方が
安いコストで造れるようになって、日本製の傘は衰退していきました。
アパレル製品もしかりでしょう。
こういう経験が、私の能にはインプットされまくっていて抜けられません。
価格が1/10にまでなって、かつ、ほぼ同じ機能なら、そちらに流れて当然です。
しかし、そんなことよりも、「商い」というものの根幹に、どちらでいたいのかの答えが
ある気がしてならないのです。
本来は、自分以外の誰かに対して、自分が差し出せる何かを提供して、その対価として
お金を頂くのがビジネスの原則です。
最低限の技術が身に着いたなら、技術を磨き続けながら、余った時間は相手のことを
考える時間にすべきと思うのです。
「全てのビジネスは価値と価値の交換である」という原理原則は、交換する相手があって
初めて成立するわけですから。
作業量を増やしたいのか、思考量を増やしたいのか、の違いでしょうね。
作業量は、管理している側が見た目に分かりますから安心できます。
しかし、思考量は、傍目には分かりません。
本当に思考して行動に移そうとしているのか、実は、ただボ~~~~っとして何もしていないのか、
第三者からは判断できません。
後者を選びたいという人は多いと思いますが、これは実績で証明する以外に手はなく、
実績はないは、自分は知識経営をしている自負は得たいは、では全く説得力がなく、
ただのボンクラと評価されるリスクはあります。
どちらの仕事をしたくて、どちらのリスクを取るのか、それは自分で一旦決めて進んでみる
しかないのだと思います。
同じ粘土細工でも、相手が明確で、想いを寄せているだけで、結果として技術が
上がっていくということはあるんですね。
ちなみに、下画像の場合は、相手のことは明確ではあるけれど、想いはよせてはいませんが(笑)。
対象が明確なだけで、技術的には上げざるを負えない感覚は造りながらにして自覚して
います(笑)。
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「技術」を上げるのは、余った時間で相手のことを考える為にある。
結果として、さらなる「量」にいくのか、「質」の向上に行くのか、これは選択なのだと思います。
私は、ビジネスである前に、人として、相手のことを考えることが前提だと言える自分で
ありたいと思うのです。
放っておくとね忘れてしまいますからね(苦笑)。
相手は誰か、時々は見直さないと・・・・・。
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